宇宙誕生後のごく初期に指数関数的な膨張期(この期間の膨張をインフレーション膨張という)を考えることによって、古典ビッグバン宇宙モデルの問題点である、地平線問題、平坦性問題、モノポール(磁気単極子)問題などを解決すると同時に、密度ゆらぎの起源も与える理論。1979年にロシアのスタロビンスキー(A. Starobinsky)、1980年に米国のグース(A.H. Guth)と日本の佐藤勝彦によってそれぞれ独立に提唱された。「インフレーション」という言葉はグースが論文のタイトルに使ってその後広まった。インフレーション理論の基本的な予言はさまざまな観測事実によく一致している。それらは、宇宙の大域的一様・等方性、空間曲率が実質的にゼロであること、密度ゆらぎのスペクトルがほぼスケール不変であること、そしてその統計がガウス分布(正規分布)に従うことである。
インフレーション膨張期には物質密度揺らぎとともに時空の揺らぎである重力波も生成される。重力波は宇宙マイクロ波背景放射に偏光成分をもたらすため、観測的な検証として宇宙マイクロ波背景放射の偏光観測が計画されている。
電弱統一理論を参照。
ザイデル収差係数のうち歪曲係数Eがゼロでない場合に現れる収差。像の位置がガウス像点から変移することによる。物平面の碁盤の目のような格子配列が像平面に射影されるとき、E>0のときは樽型に、E<0ときは糸巻き型に変形する。
質量を持つコンパクトなハロー天体の英語の頭文字から作ったことば。「まちょー」と発音することもある。可視光や赤外線では直接検出できない太陽程度の質量のコンパクトな天体が天の川銀河(銀河系)のハローに多数あれば、天の川銀河でのミッシングマス問題が解決される可能性があった。冷え切ってしまった褐色矮星や白色矮星、恒星とは独立に存在する巨大な惑星、小質量ブラックホールなどがその候補として想定されていた。直接検出はできなくとも重力レンズなどを用いて検出することが可能なため、重力マイクロレンズを探す方法により探索が行われMACHOの存在が確認されたが、天の川銀河のミッシングマスを説明するには推定存在量が不足することもわかった。
原子、分子、イオンの量子力学的な微視的状態のエネルギーが上がること。量子力学によると粒子の微視的状態は離散的な多数のレベルに分かれる。その各レベルは対応するエネルギーで区別されるため、エネルギー準位と呼ばれる。そのエネルギー準位が低い状態から高い状態に遷移することを励起と呼ぶ。一方、高い状態から低い状態への遷移は逆励起(または脱励起)と呼ばれる。
励起を起こす主なメカニズムとしては、粒子同士の衝突による場合と電磁波(光子)の吸収による場合があり、前者を衝突励起、後者を光励起(あるいは、放射励起、輻射励起)と呼ぶ。自由電子がイオンに再結合する際に、基底状態に落ちずに励起した状態になる場合があるので、これも励起状態を作り出すメカニズムになる。
逆励起を起こすメカニズムとしては、粒子同士の衝突による場合(衝突逆励起)と光子を放出する場合がある。ガスの密度が大きくなり、衝突の頻度が十分に高くなると、衝突逆励起の確率に比べて光放出による逆励起の確率が無視できるようになる。この場合の各粒子の励起状態の分布は衝突による励起と逆励起だけで決まるようになり、いわゆるボルツマン分布になる。このような状態は熱平衡状態にあるといわれる。
回転量度のこと。英語をそのまま発音する「ローテーションメジャー」も広く使われている。ファラデー回転を参照。
原子、分子、イオンの量子力学的な微視的励起状態を表す温度。
量子力学によると粒子の微視的状態は離散的な多数のレベルに分かれる。その各レベルへの分布確率は熱平衡状態ではボルツマン分布に従う。そのボルツマン分布に現れる温度パラメータが励起温度である。熱平衡状態にない場合は、各エネルギー準位への分布の比が、熱平衡状態での励起状態の分布の比と同じになる温度パラメータのことを励起温度と呼ぶ。
低温で低密度のガス中では励起温度は運動温度よりも低くなる場合が多い。スピン温度も参照。
ウィーンの近似式で表されるスペクトルのこと。
励起するために必要なエネルギーのこと。
原子構造で、原子核に最も近くエネルギー準位が最も低い(結合エネルギーが最も高い)電子軌道をK殻と呼ぶ。ここには電子が2個まで存在することができる。この電子が原子から離れ、電離が進むこと。天文学では、鉄に対して呼ぶことが多く、その場合は25階まで電離が進むのとほぼ同義である。
黒体放射のエネルギー分布のうち、強度のピークよりも高周波数側を表す近似式のこと。この近似の語源となっている研究者名の原語(ドイツ語)発音を重視してヴィーンの近似式と表記する場合もある。
温度$T$の黒体放射の単位周波数当たりのエネルギー分布はプランク分布として、
$$B_\nu(T)=\frac{2h\nu^3}{c^2}\frac{1}{\exp\left(\frac{h\nu}{k_\mathrm{B}T}\right)-1}$$
で表されるが、これを、 $h\nu \gg k_{\rm B}T$ として
$$\frac{2h\nu^3}{c^2}\exp\left(-\frac{h\nu}{k_\mathrm{B}T}\right)$$
と近似したのがウィーンの近似式である。ここで、 $h$ はプランク定数、 $k_{\rm B}$ はボルツマン定数、 $c$ は真空中の光速度である。また、黒体放射の単位波長あたりの放射強度は
$$B_\lambda(T)=\frac{2hc^2}{\lambda^5}\frac{1}{\exp\left(\frac{hc}{\lambda k_{\mathrm{B}}T}\right)-1}$$
となるが、これを $hc \gg \lambda k_{\rm B}T$で近似した
$$B_\lambda(T)=\frac{2hc^2}{\lambda^5}\exp\left(-\frac{hc}{k_{\rm B}\lambda T}\right)$$
もウィーンの近似式と呼ばれる。レイリー-ジーンズの近似式も参照。
黒体放射のスペクトル(プランク分布)の最大エネルギーを与える波長 $\lambda_{\rm max}$ とその黒体の温度 $T$ の積(または最大エネルギーを与える振動数と黒体温度の比)は定数になるという法則。以下の式で表される。
$$\lambda_{\rm max}{T}=2.898\times10^{-3}\,\,\,\,[{\rm m\,K}]$$
波長の単位を[ $\mu {\rm m}$]にとると、
$$\lambda_{\rm max}\ [\mu {\rm m}]\ T\ [{\rm K}] = 2898 $$
で表される。 このため、最大エネルギーとなる波長は黒体の温度が高いほど短波長になる。波長$1\,\mu {\rm m}$ でエネルギー最大となる放射スペクトルを持つ黒体の温度は 2898 K となる。太陽のスペクトルは波長約$0.5\,\mu {\rm m}$ 可視光で最大となっており、これより太陽の表面温度は約5800 Kであることがわかる。また、プランク分布を周波数 $\nu$ の関数で表した場合に、最大エネルギーを与える周波数 $\nu_{\rm max}$ は、
$$\nu_{\rm max}=5.879\times10^{10}\,T\,\,\,\,[{\rm Hz}]$$
となる。プランクの法則も参照。
カール・フリードリッヒ・フォン・ワイツゼッカー(Carl Friedrich von Weizsäcker; 1912-2007)はドイツの物理学者、天文学者、哲学者。星内部での原子核反応を解明し、太陽系の起源も研究した。
名門のワイツゼッカー家の外交官を父としてドイツのキールに生まれ、シュトゥットガルト、バーゼル、コペンハーゲンなどで育った。1929年からベルリン大学、ゲッチンゲン大学、ライプチヒ大学で数学、天文学、物理学を学んだ。ベルリン大学ではハイゼンベルグ(Werner Heisenberg)の指導を受けた。その後、コペンハーゲンでボーアから原子物理学を学んだ。
1935年に原子核の結合エネルギーを説明する公式を発表した。翌年ベーテが改良版を発表したので、これはベーテ-ワイツゼッカーの公式と呼ばれる。1937-38年にかけてベーテとは独立に、恒星内部での原子核融合反応(ppチェインとCNOサイクル)を発見した。第2次世界大戦中の1943年には惑星系形成論を提唱した。そのなかで、原始太陽系星雲に流体力学の渦理論を適用し、チチウス-ボーデの法則が導かれることを示した。
第二次大戦中にはハイゼンベルグとともに原爆製造の研究プロジェクトを立ち上げその責任者となった。アインシュタインがアメリカのルーズベルト大統領に送った手紙で、このプロジェクトの開発能力の高さを指摘したことが、マンハッタン計画の発端となったと言われている。
戦後1946年にゲッチンゲンのマックス・プランク研究所の物理学部門の責任者となるが、次第に哲学的考察を深めた。1957年から1969年までハンブルク大学の哲学科で教授を務めた。1970年から80年までは、スターンベルグのマックス・プランク研究所で彼のために作られた「現代世界における生存条件」部門の部長を勤めた。核戦争の危機や環境破壊、人間論などについての思索を深め、多くの著作などを通じて平和主義を訴えた。
元ドイツ大統領リヒャルト・フォン・ワイツゼッカーは彼の弟である。
アメリカのカリフォルニア州のパサデナ郊外にある標高約1700 mのウィルソン山頂にある天文台。
ヘール(G.E. Hale)は1902年に、実業家アンドリュー・カーネギーが分野を問わず自然科学研究を支援するワシントン・カーネギー協会(Carnegie Institution of Washington;現在の名称はカーネギー研究所 Carnegie Institution for Science)を設立したことを知り、その支援によってウィルソン山に天文台を作りたいと考えた。彼とその仲間は、ヤーキス天文台から太陽観測用の望遠鏡を移設して観測と気象条件の調査を始めた。1904年にカーネギー協会は天文台建設計画を承認し、ヘールが初代台長となってウィルソン山天文台が開設された。当初はウィルソン山太陽天文台であったが、「太陽」の文字は後に100インチ望遠鏡が完成した時に削除された。
ヘールは父親が彼のために残してくれた60インチ(1.5 m)の反射望遠鏡用ガラス材をヤーキス天文台からパサデナに運び、望遠鏡の製作と建設を進めたが、その途上でシカゴの実業家フッカーから100インチ(2.5 m)望遠鏡の反射鏡用ガラス材を作る費用の寄付を得た。こうして1908年に60インチ望遠鏡が、そして1917年に100インチのフッカー望遠鏡が相次いで完成した。現在ではこれらに加えて、3台の太陽望遠鏡とCHARAと呼ばれる干渉計などがある。
フッカー望遠鏡は、1948年にパロマー天文台に200インチのヘール望遠鏡ができるまで世界最大の望遠鏡であり、バーデ(W. Baade)による星の種族の発見、ハッブル(E. Hubble)によるアンドロメダ銀河中のセファイドの発見および宇宙膨張の発見など、多くの天文学の重要発見がこの望遠鏡でなされたことで有名である。1986年以来天文台の運用は、カーネギー研究所によって行われており、先端的な天文学研究のほかパブリックアウトリーチ活動にも力を注いでいる。
2009年9月に山火事が迫り消失の危機に遭遇したが、消防隊の活躍で難を逃れた。2020年9月に再度山火事の危機があったが、過去の経験により貯水槽設置を含む環境整備とヘリコプターからの消火剤散布を含む消防活動のおかげで火災を免れた。なおパサデナからは二つのつの太陽塔がよく見えるが、夜間観測用のドームの方は見えない。つまり夜間観測用の望遠鏡はパサデナやロサンジェルスの街明かりを直接は見ないように設置されている。
ホームページ:http://www.mtwilson.edu/
TMTを参照。
星のスペクトル中にあるカルシウムのK線およびH線の吸収線の中心に現れる輝線幅と星の光度とのあいだに見られる相関。輝線は同じカルシウムのスペクトル線であり、星の彩層で形成されると考えられる。1957年にウィルソン(O. Wilson)とバップ(M.K. Vainu Bappu)によって報告された。この相関を用いて、特に巨星と超巨星の絶対等級が推定される。
オランダ電波天文学研究所(ASTRON)によって運用されている電波天文台。フローニンゲンの南40 kmほどのウェスターボルクに位置し、ウェスターボルク開口合成電波望遠鏡(ウェスターボルク電波望遠鏡またはWSRTと略すことが多い)を擁する。ウェスターボルク開口合成電波望遠鏡は口径25 mのアンテナ14台からなる開口合成望遠鏡で、1970年に観測を開始した。波長3.6~110 cmでの観測が可能で、超新星残骸などを起源とする、高エネルギー電子と磁場の相互作用で生じる電波連続波や、中性水素原子ガス雲からの21cm線などを主な観測対象としている。
ホームページ:https://www.astron.nl/telescopes/wsrt-apertif/
入射した電磁波(光)をお互いに直交した2つの直線偏光状態に分離する偏光プリズムの1つ。三角柱の形状(プリズム型)をした複屈折性を持つ光学材料を2つ貼り合わせて作製する(図参照)。第一の材料と第二の材料の境界での光の屈折角は、2つの材料の屈折率の比によって決まる。複屈折材料では光学材料の特定の方向(光学軸)に対する光の直線偏光の方向によって屈折率が異なるため、同一材料であっても光学軸の方向を変えた材料を組み合わせれば、斜めに入射した光は異なる方向に屈折する2つの光に分離される。
複屈折率材料の光学軸の方向の組み合わせによりウォラストンプリズムとロションプリズムがある。ウォラストンプリズムは分離角 α が最大となる組み合わせで、ロションプリズムは常光線が直進するという特徴を持つ(θ はプリズムの頂角)。ワイヤーグリッドなどの偏光子は入射光の単一の直線偏光しか取り出せないのに対して、偏光プリズムは2つの直線偏光を利用できるので偏光観測の効率を向上させることができる。偏光子も参照。
シャルル・ウォルフ(Charles Joseph Étienne Wolf;1827-1918)はフランスの恒星天文学者。高等師範学校を卒業して教職に就きモンペリエ大学教授になった。1862年パリ天文台に入所、初期には天文時計の改良、子午線観測に携わる。後にライエ(G. Rayet)と協力して恒星のスペクトル観測を始めた。新星スペクトル中に輝線を検出、1867年には最初のウォルフ-ライエ星を発見した。また、水星の太陽面通過(1868年)の観測、プレアデス星団カタログの作成、『パリ天文台の歴史』(1902年)の執筆でも知られている。
参考:https://pg-astro.fr/grands-astronomes/l-ere-moderne/cahrles-wolf-georges-rayet.html
高温で高光度の恒星、HR図上でもっとも左上の領域を占める。1867年にウォルフ(C.J.E. Wolf)とライエ(G. Rayet)によって幅の広い輝線だらけのスペクトルを示す奇妙な星として発見された。大質量星のなかでも特に質量の大きなものが進化し、水素の豊富な外層を失った段階に相当すると考えられており、実際に特異な元素組成を示す。WN、WC、WO型に細分類され、WN型はヘリウムと窒素の輝線が強く、WC型はヘリウムと炭素の輝線が強い。WO型は酸素の輝線が強く、高電離の輝線が見られるが、他の特徴はWC型と同様である。質量放出の結果、CNOサイクルによる生成物が表面にみられるようになったものがWN型、さらに質量放出が進んでヘリウム燃焼層(燃焼を参照)が直接見られるようになったものがWC型あるいはWO型に対応すると考えられている。ウォルフ-ライエ星は進化の最後に重力崩壊するが、WN型、WC型となっているヘリウム星が超新星爆発を引き起こすとIb型超新星、ヘリウム層の大部分を失ったWO型が爆発すると、Ic型超新星になると予想される。約60%が連星系に属し、ウォルフ-ライエ星からの星風と伴星のO型星の星風の衝突によるとみられるX線の放射が顕著なものもある。ウォルフ-レイエ星、ウルフ-レイエ星、ウォルフ・ライエ星などと表記されることもある。高光度青色変光星も参照。
