天文学辞典 :ASJ glossary of astronomy | 天文、宇宙、天体に関する用語を3300語以上収録。随時追加・更新中!専門家がわかりやすく解説します。(すべて無料)

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比較光源

比較スペクトルを取得するための光源で、波長の知られた多くのスペクトル線を放射するもの。鉄やトリウムなどのホローカソードランプが多く用いられる。

フランク・ドレイク(Frank Donald Drake; 1930-2022)はアメリカの天文学者・アストロバイオロジー研究者。イリノイ州シカゴ出身。コーネル大学で学び、 ストルーベ(O. Struve)の授業で地球外生命体に興味を抱く。大学院はハーバード大学で電波天文学を専攻、博士号を取得した後、アメリカ国立電波天文台 (NRAO)、NASAのジェット推進研究所で木星の電離層やパルサーの研究を開始した。
一方、1960年に世界初の地球外知的生命体探査(SETI)であるオズマ計画を提案、およそ11光年離れたくじら座τ星とエリダヌス座ε星に電波望遠鏡を向け、人工的な信号を探した。1961年には交信可能な地球外文明の数を見積もるドレイク方程式を提唱している。1964年にコーネル大学天文学教授、1971年からはアレシボ天文台を含む国立天文電離圏センター(NAIC)の所長を務め、1974年に8キロパーセク(8 kpc=2.5万光年)離れた球状星団M13に向けて、地球文明に関するメッセージ(アレシボメッセージ)を発信した。1984年、カリフォルニア大学サンタクルーズ校の自然科学学部長になり、同年に設立されたSETI研究所の所長に就任。SETIの先駆者として活躍を続け、 2010年に80歳で正式に引退するが、その後もSETIの普及に努めた。
惑星探査機パイオニア10号・11号に取り付けられた、人類からのメッセージを記した金属板や、2機のボイジャー探査機に搭載された「ゴールデンレコード」のデザインにもカール・セーガンらとともに携わっている。
2022年9月、カリフォルニア州アプトスの自宅にて老衰のため死去、92歳であった。

 

SETI研究所の追悼記事
https://www.seti.org/frank-d-drake-1930-2022
natureの追悼記事
https://www.nature.com/articles/d41586-022-02962-8

レーザー干渉計では、ショット雑音が最小になるように干渉縞が暗い状態で信号の検出を行うが、このとき入射したレーザー光は光源側に反射される(図(a)参照)。ここに図(b)のように鏡を挿入し、もう一度入射光と位相を合わせて干渉計に戻すことにすれば、干渉計に入射する光が等価的に増大する。これが光の(パワー)リサイクリングで、増幅率は干渉計の損失で制限されるが、数十倍の利得が得られ、必要なレーザーのパワーを小さくすることができる。

宇宙の中で、30-50 Mpc(1-1.5億光年)程度のスケールにわたって銀河がほとんど存在しない巨大な空間のこと。アメリカのカーシュナー(R. Kirshner)らによって、うしかい座の方向に初めて発見された。彼らはうしかい座の3ヶ所にある小天域で銀河の赤方偏移サーベイを行っているうちに、ある赤方偏移の区間に銀河が全くないことを1981年に発見した。その後、観測天域を増やして広い範囲を密に覆う赤方偏移サーベイを行って、1987年にボイドの存在を確認した。このボイドは直径約100メガパーセク(100 Mpc=3億光年)にも達していた。その後スローンデジタルスカイサーベイなどの銀河サーベイによって、ボイドは超銀河団と同程度に普遍的な存在であり、フィラメント状構造とともに、宇宙の大規模構造を構成する基本要素であることがわかった。

ジョン・ドレーパー(John Draper; 1811-1882)はイギリス生れのアメリカの化学者。アマチュア天文家であり写真家でもあった。イギリスで教育を受け、父の死後1832年にバージニアに移住した。1836年にペンシルベニア大学医学部を卒業、翌年ニューヨーク大学の化学・植物学教授に就任、1840年からは自ら創設した医学部の教授を務めた。
1840年には、フランスのダゲールが発明した湿式の銀板写真を用いるダゲレオ式カメラをニューヨーク州の自宅の庭に置いた小型望遠鏡に取り付けて、直径2.5cmの月面の撮影に成功した。さらに写真による天体分光に挑戦した。1843年には太陽の分光写真から新しいフラウンホーファー線を発見し、月の可視スペクトルの写真撮影にも成功した。1844年には回折格子を用いた太陽の分光写真撮影に成功した。これらはヨーロッパのキルヒホッフハギンスらより20年近く早い先駆的観測であった。
ジョンはアマチュア天文家として将来自分の天文台を持ちたいと思い、ハドソン川の河口から約30 kmのヘイスティングス・オン・ハドソン村に4万平方メートルの敷地を購入した。その夢は息子のヘンリー・ドレーパーによって実現するが、ジョンは息子に多大な助力を惜しまなかった。写真化学の研究と改良も行い、1842年には写真化学の基本法則(Grotthuss-Draper law)を見つけている。

天体の分光観測で得られるスペクトルに波長の対応をつけるために用いる比較光源のスペクトル。比較スペクトルのスペクトル線の位置から、波長と検出器上の位置の関係を求め、その関係を天体スペクトルに適用して波長目盛りを割り当てる。分光器が完全に安定であれば、一度比較スペクトルを取得して検出器上の位置と波長の関係を求めればよいが、実際には自重変形や温度変化などによりわずかに変化する。このため、天体スペクトル観測とできるだけ同じ条件で近い時間帯に比較スペクトルを取得するのが望ましい。

ヘンリー・ドレーパー(Henry Draper; 1837-1882)はアメリカの天文学者。ジョン・ウィリアム・ドレーパーの息子。天体写真と写真分光学の開拓者として知られる。バージニア州で生まれたが2歳の時に一家でニューヨークに移り住んだ。父親の影響で早くからアマチュア天文家として天体写真の撮影をしていた。
1857年わずか20歳のときにニューヨーク大学医学部を卒業、後に同学部の教授および学部長に就任した。19歳で医学部卒業資格を得たが、20歳にならないと卒業できないという規定があったため、兄とヨーロッパ歴訪の旅に出て、アイルランドのロス卿の天文台を訪問した。このとき巨大な望遠鏡リバイアサンに感動して、「これほど大きくなくとも、アメリカで一番大きな望遠鏡を作り写真術と天文学を結びつけたい」と考えたと述べている。
以後、医師としての仕事の傍ら望遠鏡による天体写真観測の研究に励んだ。1863年には口径40 cm、1872年には口径71 cmの望遠鏡を製作した。観測は父親の購入したヘイスティングス・オン・ハドソン村に作ったヘイスティングス天文台で、妻のアンナ・ドレーパーの協力を得て行った。1872年には71 cm望遠鏡にプリズム分光器をつけてベガを観測し、吸収線が写った恒星スペクトルの撮影にはじめて成功した。その後100個以上の星のスペクトルを撮影した。1880年には高感度のゼラチン・ブロマイド乾式乾板を用いて淡いオリオン大星雲の写真撮影に成功し、輝線スペクトルも観測した。
1882年冬にロッキー山脈へ狩猟旅行に出かけて遭難しかかったことがもとで、帰宅後急性肋膜炎となり45歳で夭折した。彼の死後、彼が撮影した多数のスペクトル写真乾板を知り合いであったハーバード大学天文台の台長であったピッカリング(E.C. Pickering)が預かり、測定して結果を出版した。父のジョン・ドレーパーも亡くなったので、ヘイスティング天文台跡地にヘンリーを記念する研究所を設立したいと考えていたアンナ未亡人は、ピッカリングに設立をまかせられる人の紹介を頼んだ。その計画はうまく行かなかったが、それが縁となり、北天の星の大規模なサーベイ観測を計画していたピッカリングがアンナ未亡人に援助を頼んだ。アンナはヘイスティング天文台の望遠鏡と分光器とともに数十万ドルの資産をこの計画に寄付して支援した。その最初の成果が10,351個の恒星スペクトルの分類を記載した『ドレーパー星表』(1890, 1897)である。ここではまだスペクトル分類は粗い初期のものであった。その後さらにハーバード大学天文台では多数の星のスペクトル撮影と新たな分類法の開発のための大規模なプロジェクトが行われた。その結果、22万5千個以上の恒星に対して、新たなスペクトル分類であるハーバード分類によるスペクトル型を記載した『ヘンリードレーパー星表』が1918-1924年にかけて出版された。このカタログ掲載の恒星は、HD 172167のようにHDに続く掲載番号で識別される。

星形成が進行中の領域のこと。星生成領域ともいう。
生まれたばかりの星が可視光で見えなくても、さまざまな波長における観測から、星形成が現在進行していることを示す証拠が得られれば星形成領域という。星間分子雲にはこれに該当するものも多い。


星形成の現場であるカリーナ星雲へのズームイン

https://www.youtube.com/embed/62XtuOMndxM?si=P6X-a-3VhyruHas-"

初代の台長となったアンバルツミアン(V. Ambartsumian)の努力によって1946年に旧ソ連で、黒海とカスピ海の間(現在はアルメニア共和国)に開設された天文台。2.6 mの望遠鏡と1 mシュミット望遠鏡が主な装置である。シュミット望遠鏡による紫外超過銀河(マルカリアン銀河)の探査が有名である。
ホームページ:http://www.bao.am/

同一の原子番号を持つ(陽子の数が同じ、すなわち同じ元素である)が、中性子の数が異なる核種のこと。同位元素とも呼ばれる。英語をカタカナ読みしたアイソトープがそのまま用いられることも多い。

同位体は周期表では同じ位置を占め、核図表では横軸に平行な線上にある。図1の上は周期表、左下は核図表である。右下図は左下の核図表の左下隅の薄青く塗った部分を拡大して、周期表との対応も含め詳しく説明したものである。1つの元素は周期表では1つのマス目に入るが、核図表では同じ縦軸(陽子の数)の位置で横軸(中性子数の軸)に沿って広がり、同位体の数だけマス目がある。右下図で、例えば1番上の酸素(原子番号8)には質量数13から24まで12種の同位体があるが、安定なものは質量数16,17, 18の3種のみである。それ以外は放射線を出して別の核種に変化する不安定な放射性同位体である。核図表で黒色で示されている核種が安定な同位体である。放射性元素も参照。

北天拡張ミリ波干渉計の旧略称。

太陽系を生むもとになった星間分子雲のこと。原始太陽系円盤と同じ意味で用いられることが多い。

 

同じ原子番号を持つ元素の原子核中で、中性子の数(つまりその原子の質量数)が異なる核種を同位体といい、原子数で測ったその存在比を同位体比という(質量比ではない)。同位体比は元素合成のプロセスによって異なるので、精密な測定はその元素の起源、変遷を探る上で重要な情報をもたらす。自然界の物質の安定同位体比はほぼ一定であるが、環境によりわずかに異なる値をとる。また、放射性同位体の場合は生成後、崩壊により減少していく。地球環境では炭素14(14C)は大気上層で宇宙線と窒素原子核の衝突から生成される一方、放射性崩壊により時間とともに減少していくため、大気中濃度はほぼ一定の割合に保たれている(厳密には地磁気や太陽活動の変動の影響を受ける)。植物は二酸化炭素として炭素14を大気中から取り込み、食物連鎖で動物にも伝わっていくが、生物の活動停止後は新たに取り込まれなくなるため、以後は半減期5730年で減少するのみとなる。すなわち、炭素14の同位体比を調べることにより年代測定が可能となる。

トンボー(Clyde William Tombaugh;1906-97)は、冥王星を発見したアメリカの天文学者。イリノイ州の貧しい農家出身だったが天文学に興味を持ち、自作の望遠鏡で木星や火星の観測を熱心に行なった。そのスケッチが機縁で1929年にローウェル天文台の台員に採用され、海王星の外側を回る未知惑星の探索を開始した。1930年2月に、1月に撮影した写真の中で移動する天体を見つけ、3月にローウェル天文台が公表、5月にプルート(Pluto:提案者はイギリスの11歳の少女、バニーシア・バーニー)と命名された。日本語名の「冥王星」は、発見されてすぐ野尻抱影が提案している。その功績で奨学金を得てカンザス大学を卒業、後にホワイトサンズのミサイル基地で働き、ニューメキシコ州立大学では天文学の教授として教鞭をとった。91歳の誕生日直前に自宅で亡くなり、彼の遺灰の一部は2006年に打ち上げられたニューホライズンズ探査機のコンテナに納められた。

 

数学的には、実変数の実関数もしくは複素関数を別の関数に写す変換の1つで、$s(x)$ に対して $e^{i2\pi x\xi}$ を基底として展開した係数に相当する関数 $S(\xi)$ を対応させるもの。具体的には、

$$S(\xi)= \int _{-\infty} ^{+\infty}s(x)e^{-i2\pi x\xi}\ dx$$

で与えられる。ここで $i$ は虚数単位。ただし、$2\pi$ を付さない定義を用いている場合もあるので注意。
変数 $x$ が物理次元を持つ量ならば、$\xi$$\frac{1}{x}$ の物理次元を持つ。例えば、$x$ として時刻 $t$ をとるなら $\xi$ は周波数 $f$ となり、$x$ として空間位置をとるなら $\xi$ は空間周波数 $u$ となる。このため、天文学ではフーリエ変換は分光スペクトルのほか、望遠鏡などの光学系の解析や電波干渉計を理解するための基礎理論となるなど、フーリエ変換の応用範囲は極めて広い。
天文学や物理学が対象とする測定量を表す関数の場合、フーリエ変換で関連付けられる $s(x)$$S(\xi)$ とは

$$s(x)= \int _{-\infty} ^{+\infty}S(\xi)e^{i2\pi x\xi}\ d\xi$$

の関係を満たす。こちらをフーリエ逆変換と呼ぶ。
実際の測定値を表す関数の場合、無限に広い範囲での値を得ることはできないので、多くの場合は、十分広いと考えられる範囲外では0となると仮定して計算を行う。また、連続的に測定することも難しいため、離散的な値で代用する。フーリエ変換を定義に基づいて計算するには多大な計算量を必要とするので、いくつかの条件および仮定を置くことで、計算機上で高速にフーリエ変換を行うアルゴリズムが考案されており、高速フーリエ変換と呼ばれる。

成長する原始地球で原始大気ができる過程は2つのものが考えられる。1つは、原始惑星系円盤のガス中で地球が成長する場合で、火星サイズを越えると重力で引きつけたガスによる水素を主成分とした大気(一次大気)ができる。もう1つは、ガスが晴れ上がった後に地球が成長する場合で、衝突脱ガスにより生成される、水蒸気や二酸化炭素を主成分とする大気(二次大気)である。いずれの大気においても、毛布効果で集積の際に解放された重力エネルギーの散逸が妨げられるため、大気底の温度が上昇して、地球質量程度では表面はマグマオーシャンで覆われる。マグマオーシャンの表面での、酸化鉄やシリケイトとの反応で、一次大気の場合でも大気中に水蒸気が供給される。宇宙生命実験では、ミラーの実験で用いられた、メタン、アンモニア、水素、水蒸気の混合気体が原始地球大気のモデルとして知られる。しかし、このような強い還元型大気は、地球型惑星の形成モデルでは生成は困難で、存在したとしても不安定であると考えられている。

主たる集光素子としてレンズではなく反射鏡を使用する望遠鏡のこと。反射鏡には、レンズに見られる色分散がない(鏡面反射される光の方向に波長依存性がない)ため、すべての光学素子を反射鏡で構成した望遠鏡には色収差がない。また、反射鏡は鏡面部分のみが高精度に磨かれていればよく、レンズなどの屈折素子のように素子全体にわたって一様で高い透明度が必要とされない。さらに、鏡面の側面や裏側は使用しないので、側面や裏面を用いた多点で鏡を支持することができる。これらの利点により、反射鏡はレンズよりもはるかに大型のものを製作することができる。色収差がないため、望遠鏡全体の口径比を小さくすることが可能となり、口径に対して望遠鏡構造をコンパクトにできる。したがって、現在では口径1 mを超える望遠鏡はすべて反射望遠鏡となっている。
反射望遠鏡には、主鏡の後に置く反射鏡の種類と配置を変えることによって、主焦点(直焦点)、ニュートン焦点カセグレン焦点グレゴリー焦点ナスミス焦点クーデ焦点と呼ばれるさまざまな焦点を設置することができる。
反射望遠鏡の筒先に補正板と呼ばれる屈折素子を配置して、広視野にわたる収差を補正した望遠鏡を反射屈折式望遠鏡(カタディオプトリック望遠鏡(catadioptric telescope))と呼ぶ。シュミット望遠鏡はこれに当たるが、広義の意味で反射望遠鏡に分類されることもある。反射屈折望遠鏡では望遠鏡の有効径が補正板で決まるため、あまり大型の望遠鏡を製作することができない。ただし、簡便に広視野を確保できるため、アマチュア用の小型望遠鏡ではよく採用される。そうしたものに、シュミットカセグレン式望遠鏡やマクストフ式望遠鏡などがある。
焦点(望遠鏡の)も参照。

核図表で安定核(宇宙年齢よりも十分大きな半減期をもつ核種と考えてよい)が並ぶ曲線のこと。ベータ安定の谷とも呼ばれる。

隕石や小天体の衝突で形成される、円形の窪地とそれを取り囲むリムと呼ばれる円環状の高まりから構成される地形。隕石孔とも言う。断面がおわん型のもの、平底型のもの、中央に高まり(中央丘)があるもの、多重のリムから構成されているものなど、多様な形態を示す。クレーターという用語は火山噴火口や陥没地形などの他の穴状地形や凹地にも使われるが、惑星科学では、一般的に衝突で形成されたものを指す。大気がないか少なく、表面の年代が古い天体は、クレーターとその放出物(エジェクタ)で表面は覆われている。クレーターの数密度は、表面の年代の指標になる(クレーター年代学)。地球では浸食が激しいために古いクレーターは現存していないが、約200個の衝突クレーターが存在する。その中には、アリゾナのバリンジャー隕石孔など明瞭な衝突クレーターもある。も参照。

太陽系外惑星 のこと。「系外惑星」という呼び名も広く用いられる。なお、英語では exoplanet と呼ばれることも多い。