回転準位が励起されること。励起を参照。
本来は、空間的に有限で、有限の体積を持つ宇宙モデルのことであるが、通常は正の曲率(K=+1)を持つロバートソン-ウォーカー計量で表される宇宙モデルを指す。しかし、たとえば平坦な宇宙であっても、周期的座標を取って端点同士を同一視することによって、トーラスでできた有限体積の宇宙モデルを作ることができるので、どのような文脈でこの語が使われているか、注意が必要である。
分子を構成する原子(もしくはもとの分子よりも小さな分子)が離脱すること。
光解離領域、電離も参照。
カメラのレンズなどの光学系において、通過する光量を調節するために設ける円形(に近い)穴の開いた遮蔽板。民生品では、必要な光量に容易に調整できるように複数の薄い板で構成し穴の直径(面積)を変化させる形式のものが多い。撮像する範囲を制限する「視野絞り」も絞りの概念に含まれる。光量を調節する絞りを視野絞りと区別するには「開口絞り」と呼ぶ。通常、天体観測ではできるだけ多くの光量を確保したいので、特殊な例外を除いて、望遠鏡や観測装置に光量を減らす絞りを設けることはなく、主鏡や副鏡が解放状態の絞りとなっている。例外は赤外線観測装置やコロナグラフで、光束外縁部のわずかな部分のみを遮蔽する目的で絞りが用いられることがある。射出瞳、入射瞳、瞳も参照。
スーフィ(Abd al-Rahman al-Sufi;903-86)はペルシャの天文学者。アブドゥル・ラフマーン・スーフィーまたはアゾフィとも記される。テヘラン郊外で生れ、ブワイフ朝時代に宮廷天文学者として活躍した。プトレマイオスの『アルマゲスト』に代表されるヘレニズム天文学のギリシア語文献をアラビア語に翻訳し、ギリシア天文学を研究した。964年頃の著作の1つ『星座の書』(Kitāb Ṣuwar al-Kawākib:『恒星の書』とも記される)において、プトレマイオスの48星座の絵を描き、自らの観測に基づいてその星表の誤りを正し、星の等級を評価してアラビア名も与えている。スーフィの星表は後にヨーロッパにも伝えられた。また、アンドロメダ銀河M31と大マゼラン銀河(Al Bakr:白い牛)を記録したことでも知られる。(『星座の書』に大マゼラン銀河は記されていない。)他に、アストロラーベ、占星術に関する著作がある。
参考:http://www.klima-luft.de/steinicke/ngcic/persons/alsufi.htm
https://www.eso.org/gen-fac/pubs/astclim/espas/iran/sufi.html
化学平衡状態にある可逆的解離反応において、解離した化合物と解離していない化合物との比を解離定数と呼ぶ。
$$ AB \rightleftharpoons A + B$$
の式で表される反応における成分Xの濃度を[X]で表すことにすると、 解離定数 $K_d$ は
$$ K_d = \frac{[A][B]}{[AB]}$$
と表される。解離平衡も参照。
観測で一度にとらえることができる天球面上の範囲。画像を対象とする場合には写野ともいわれる。英語の頭文字をとってFoVと表記されることもある。視野は通常、望遠鏡の光学系や検出装置の大きさで決まる。干渉計の場合には、干渉計を構成する各素子アンテナの口径等で決まる視野のほかに、干渉させる電磁波の光路差がコヒーレンス長より短い必要があるため、この条件から決まる視野の制限もある。超長基線電波干渉計では、後者による視野の方が前者による視野よりもずっと狭い場合が多く、位相追尾中心を変えて相関を取り直すなどの方法によって視野を広げることが可能である。
宇宙速度を参照。
ド・ジッター宇宙とは、正の宇宙項を持ったアインシュタイン方程式の真空解、すなわちエネルギー運動量テンソルがゼロの場合の解である。
空間は一様等方であり、スケール因子は指数関数的に増大する。初期宇宙のインフレーション時にはこのような膨張則が実現していたものと考えられる。
ド・ジッター宇宙の計量は5次元ミンコフスキー時空において双曲面を定義し、誘引される4次元時空の計量がド・ジッター計量である。反ド・ジッター宇宙も参照。
分子の生成率と解離率がつり合っている状態。電離平衡、解離も参照。
人間の目が感じる赤、緑、青の3原色に、それとは異なる波長の電磁波の強度を割り当てて作った仮想的なカラー画像のこと。可視光に限らず、目に見えない波長の電磁波で得られた画像を割り当てることによって、実際は目に見えない情報をカラー画像として見ることができる。たとえば赤外線の画像を赤色で、可視光の画像を緑色で、X線の画像を青色で表示してそれらを合成した代表色表示の画像を作ったりする。疑似カラー表示という言葉も使われるが、最近では代表色表示の方が一般的になっている。
宇宙望遠鏡を参照。
2つの関数のたたみ込み合成後の関数のフーリエ変換は、合成前の個々の関数のフーリエ変換の積に等しいという定理。ある画像を特定のカーネル(たたみ込みを参照)を用いてぼかし処理をする場合、カーネルサイズが大きいと演算回数が増えてたたみ込み処理が遅くなる。そのような場合、画像とカーネルをそれぞれフーリエ変換し、掛け算したものを逆フーリエ変換する方が処理が速くなる。また、スペックル干渉計など、たたみ込みに関連する処理で多く用いられている。
絞りより後にある光学系によって作られる絞りの像。出射瞳という場合もある。物点の位置にかかわらず、光学系を通過した光線は、あたかも射出瞳から像点に向かって収束するような軌跡を描く。射出瞳が無限遠にある光学系を像側でテレセントリックといい、検出器面が像面からずれても(ピンぼけ状態)、像の重心の位置、つまり、焦点面のスケールが変化しないというメリットがある。入射瞳、瞳も参照。
宇宙の構造形成がどのように進んだのかという問題に対する一つのシナリオ。トップダウンシナリオでは、銀河団や超銀河団など、大きな階層の構造ほど宇宙の初期に形成されたと考える。銀河や星などの小さな構造は、より大きな階層の構造が形成された後に、それらが分裂して生まれたと考える。ダークマターを考えないバリオン宇宙において初期のゆらぎが断熱ゆらぎとなる場合や、ニュートリノなどをダークマターとみなすホットダークマターモデルの場合、小スケールの初期ゆらぎが極端に抑制されているため、トップダウンシナリオとなる。現在では、銀河よりも銀河団の方が新しく形成されていることがわかっているなどの事実から、現実的な構造形成のシナリオとはみなされていない。ボトムアップシナリオも参照。
光学的に非球対称の構造を持つ星間ダストが何らかの原因で整列しているために、星間空間を伝搬する電磁波が偏光面に依存して選択減光を受けて生じる偏光現象のこと。
星間ダストを整列させる原因としては星間磁場の効果が最も有力である。
その機構の理論はデービス-グリーンシュタイン機構として知られている。星間磁場、星間物質、星間媒質も参照。
単位体積の空間内にある天体の個数を質量の関数として表したもので、質量が m-dm/2 から m+dm/2 の間にある天体の数を $\phi$(m) dm としたときの $\phi$(m) のことをさす。質量スペクトル ともいう。初期質量関数も参照。
太陽系惑星の軌道長半径の規則性に関する法則。1766年にドイツの天文学者チチウス(J.D. Titius)が発表したがあまり日の目を見ず、1772年にボーデ(J.E. Bode)が自著で紹介して有名になったため、ボーデの法則と呼ばれることも多い。この法則は以下の数列で表される。
$$a = 0.4 + 0.3 × 2^n$$
ここで、 $a$ は天文単位で測った惑星の軌道長半径、$n$ は惑星の番号だが、水星だけ $n=-\infty$ とすると、当時知られていた惑星のすべて(金星 $n=0$、地球 $n=1$、火星 $n=2$、木星 $n=4$ 、土星 $n=5$)についてよく当てはまっていた。まもなく1781年に天王星が発見され、その軌道が $n=6$ にほぼ当てはまっていたので話題となった。そこで、$n=3$ に相当する天体の捜索が行われ、ほぼ予想通りの距離に小惑星のケレス(セレスとも表記)が見つかった。しかし、その後発見された海王星はこの数列の予想から外れており、現在では、この法則に物理的根拠はなかったと考えられている。
星間空間に存在している磁場を指す言葉。その強度は中性水素の波長21cmの輝線(HⅠ輝線)のゼーマン効果などで測ることができる。磁場ベクトルの方向については、磁力線によって整列した星間ダストによる吸収や放出光の偏光を観測することで推察できる場合がある。高エネルギー電子が多数存在する場所では、それらが発するシンクロトロン放射の偏光により磁力線の方向がわかる。天の川銀河(銀河系)の円盤部にある太陽系近傍と同様な空間では星間磁場は平均的に数マイクロガウス程度の強度を持つと考えられている。星間媒質、星間偏光も参照。
1543年にコペルニクス(N. Copernicus)が、当時の標準的な宇宙観であった天動説に対して提示した説。惑星は中心にある太陽の周りを公転するとした。学術上の名称は「太陽中心説(heliocentrism)」である。当初は、キリスト教会の権威に裏付けられた天動説に対する「異端」として迫害を受けた。ガリレオ(Galileo Galilei)が望遠鏡で木星の周りを回る衛星の観測を出版し(1610)、ティコ・ブラーエ(T. Brahe)の精密な惑星の観測データから、ケプラー(J. Kepler)が惑星運動の法則(ケプラーの法則)を導きだし(1619)、それが万有引力の法則によって説明されることをニュートン(I. Newton)が示して(1687)地動説が確立した。
コペルニクス以前にも、地球が動いているとする考えを持った人はいた。最も古くて有名なのは、サモスのアリスタルコス(Aristarchus)で、太陽中心説に基づいて、月の大きさや太陽までの距離の測定までも試みた。しかし、コペルニクス以前の説は一般には地動説とは呼ばない。
