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ガリレオ

小

よみ方

がりれお

英 語

Galilei, Galileo

説 明

ガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei;1564-1642)はルネサンス期に活躍したイタリアの自然哲学者、数学者、天文学者。ニュートン、アインシュタインとともに現代につながる宇宙観の形成に大きな貢献をした。ガリレオは、音楽家で商人でもあったビンセンティオ・ガリレイの長男としてピサに生まれた。「ガリレオ」は「ガリレイ」の単数系で、トスカーナ地方では、長男には「姓」を単数形にしてその名前とする習慣があった。オスティリオ・リッチ(Ostilio Ricci)のもとで数学を学び、1589〜1592年、ピサ大学の数学教授、1592〜1610年、パドバ大学の数学教授となった。

1609年にオランダのハンス・リッパヘイ望遠鏡を発明したという噂を聞き、自ら望遠鏡を製作、1610年に木星の衛星や月面上のクレーター地形を発見、天の川も望遠鏡で観測して「重なり合って分布した無数の星の集合」であることを明らかにし、これらの結果を『星界の報告(Sidereus Nuncius)』として出版した。1610年にはピサ大学数学教授となり、トスカナ大公コジモ2世つきの数学者ならびに哲学者にもなった。その後、土星太陽の黒点も望遠鏡で観測している。特に土星の観測では、環の発見には至らなかったが、土星が三つの星から出来ており、中央の星は両側の二つの星の3~4 倍の大きさを持っていると考えていた。また、金星の満ち欠けの観測から、天動説に強烈な批判を加えた。(天動説では金星は常に地球と太陽の間にあるため、三日月形や半月形にはなっても満月形になることはないが、地動説では金星が地球から見て太陽の向こう側にある時には小さく丸く見える。)1615年に宗教裁判にかけられ、2回の審問を経て有罪宣告を受け(1633年)、コペルニクス説の擁護を禁じられるとともに、アルチェトリに死ぬまで幽閉された。有罪とされたのはコペルニクス的宇宙観に関してで、異端のせいではなかった。1638年、完全に盲目になり、1642年、幽閉先で死去した。1610年の『星界の報告』の他に、 『太陽黒点論(Letters on Sunspots) 』(1613年)、『偽金鑑定官(Il Saggiatore)』(1623年)、『天文対話(Dialogo sopra i due massimi sistemi del mondo)』(1632年)、『新科学対話(Discorsi e Dimostrazioni Matematiche, intorno a due nuove scienze)』(1638年)などの著書がある。

力学への貢献は天体の発見ほど大きく取り上げられないが、自由落下の加速、慣性の法則、相対運動、振り子の等時性の研究などは非常に重要である。特に、実験結果を数式に結びつけて整理したのはガリレオが最初であり、以降の近代科学における研究法の基礎を築いたといわれている。これは、アリストテレスなどの権威の言葉ではなく、実験事実だけを信じるルネサンス的精神の発露とされる。

2024年08月08日更新

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    ガリレオの肖像画(1636, Justus Sustemansによる)
    https://en.wikipedia.org/wiki/Galileo_Galilei
    ガリレオのスケッチ(ガリレオの著書より。月〈上段左〉、太陽と黒点〈上段右〉、土星〈2段目左〉、木星と衛星〈3段目左〉、プレアデス星団〈中段右〉、金星の満ち欠け〈下段〉)