広義には流星群と同じ意味で使われることがあるが、通常は、流星の単位時間あたりの出現数が通常の流星群のときよりもはるかに多い(1時間に1000個以上)現象を指す。流星雨は、中心となる放射点があり、天球上を放射状に流れる。流星物質(流星体)が彗星の軌道に沿って管状に広がったものをダストトレイルと呼ぶ。ダストトレイルの中心付近の流星物質の数密度が高い場所を地球が通過したときに、流星雨は発生すると考えられる。2001年11月18日夜から19日未明にかけて大出現した「しし座流星群」は流星雨に相当する。
2001年11月18-19日に出現した「しし座流星群」
https://www.youtube.com/embed/zCldfctC-RA
細い惑星リングの近傍の軌道上にあり、そのリングの形状を維持する働きをしていると考えられる衛星のことを、羊が群れから逃げ出さないように番をする羊飼いになぞらえて、羊飼い衛星と呼ぶ。土星の F リングにおける衛星プロメテウスとパンドラ、天王星の ε リングにおける衛星コーディリアとオフィーリアなどが、その例である。通常はこのように細いリングの形状を維持する衛星のことをいうが、幅広いリングの外縁の維持に寄与しているもの、あるいはエンケの間隙の中にある衛星パンのように、リング中にあってリング粒子を跳ね飛ばして溝を形成している衛星のことを含める場合もある。
ブラッドレー(James Bradley;1693-1762)はイギリスの天文学者。しばしばブラッドリーとも記される。光行差の発見者として有名。
グロスターシャー州に生まれ、オックスフォード大学のベイリオル・カレッジに学ぶ。1719年に教区の牧師となったが、1721年にオックスフォード大学のサヴィル教授職(天文学)に就き、教会を辞めて天文学に専心。フラムスチード、エドモンド・ハリーの後任として、1742年に第3代グリニッジ天文台長(すなわち王室天文官)に任命された。
地動説で期待される恒星の年周視差を測ろうと1725年よりロンドン郊外に望遠鏡を設置、天頂を通過するりゅう座ガンマ星を観測し、地球の軌道運動による光行差を1728年に発見した。これによって、地球が太陽を中心に運動していることがはじめて証明された。この結果から、かなり正確な光速度の値(約30.1万km/s)が得られている。彼の観測は高精度であったため、現在では「主要章動」と呼ばれる18.6年周期の章動を、1748年に発見している。ちなみに、年周視差の検出は光行差よりずっと遅く、1838-39年になってからである。
特定の日時に流星の数が増えるものを流星群と呼ぶ。流星群は、彗星や小惑星から放出された流星物質がほぼ同じ軌道上に広がっているところを地球が通過するときに発生する。以前は、彗星軌道上に流星物質が集中してダストトレイルを形成していると考えられていた。しし座流星群の観測から、彗星の回帰ごとに別々のダストトレイルを形成すると考えた方が流星群の出現を精度よく予想できることがわかった。
放射点がどの星座にあるかで、流星群の名前がつけられている。定常的に毎年観測される、しぶんぎ座(1月)、ペルセウス座(8月)、ふたご座(12月)の流星群を3大流星群と呼ぶことがある。ペルセウス座流星群の母天体はスイフト-タットル彗星、ふたご座流星群の母天体は小惑星ファエトンと考えられている。しぶんぎ座流星群は母天体の候補が複数あり、確定していない。
(参考)国際天文学連合による流星天文学の用語の定義と解説:
https://www.iau.org/Iau/Science/What-we-do/Meteors-and-Meteorites.aspx
ふたご座流星群 / Geminids Meteor Shower
https://youtu.be/Ps0ndNpb3EM
「流星群とは(ショートバージョン)」(ダストトレイルについても説明あり)
https://youtu.be/06fbFrzAGvc
公転周期75.3年で太陽を長楕円逆行軌道で周回する周期彗星。彗星の軌道を求めて回帰を予想したハレー(E. Halley)にちなみ、ハレー彗星もしくはハリー彗星と呼ぶ。正確には1P/Halleyと書く。1986年の回帰時に、ヨーロッパ宇宙機関(ESA)のジオット彗星探査機、旧ソ連のベガ、日本の「すいせい」、「さきがけ」などの探査機が観測を行い、ジオット彗星探査機が初めて彗星核の撮像に成功した。それに先立ち、日本のすいせい探査機は、コマの明るさの変化からハレー彗星核の自転周期を求めている(2.2日)。
ダスト質量分析機による測定から、コマのダストには分子量100を超すさまざまな有機分子が存在することがわかり、構成元素からCHONと呼んでいる。これらの有機物は、星間ダストの表面で紫外線や宇宙線が介在して生成されたと考えられている。ハレー彗星の氷成分には、H2Oのほか、CO, CH4, NH3, HCNなどが含まれている。なお、次回の回帰は2061年である。
ジオット彗星探査機が撮影したハレー彗星の核の様子。最接近距離はわずか 600 km。1986年3月13-14日。
https://www.youtube.com/embed/YPZcji32IBs?si=TV92jKN8ZucGunJn"
流星が通った後に飛跡に沿って残る淡く輝く痕跡。流星が発光した後に残す流星物質が高温で溶解したプラズマや大気中の原子・分子などが光るもの。数秒以下で消える短痕と明るい流星の場合数分以上発光し続ける永続痕がある。短痕は酸素原子の緑の光、永続痕は窒素分子の赤い光が主なものと考えられている。流星の発光直後は比較的はっきり見えるが、大気にかき乱されて次第に見えなくなる。火球も参照。
(参考)国際天文学連合による流星天文学の用語の定義と解説:
https://www.iau.org/public/themes/meteors_and_meteorites/
https://www.iau.org/static/science/scientific_bodies/commissions/f1/meteordefinitions_approved.pdf
ふたご座流星群の火球(2014年)。火球の消えた後に流星痕が見られる。
https://youtu.be/7_F0XfSQb18?
地球の周囲にあるドーナツ状の放射線帯のことで、米国の物理学者バンアレン(J. Van Allen)が米国の最初の人工衛星エクスプローラー1号に搭載したガイガーカウンターで発見したのでこの名前で呼ばれる。
この放射線帯は、陽子や電子などの荷電粒子が地球の磁場に捕捉されて生じる。バンアレン帯は、陽子と電子でその空間分布が異なっている。電子は地表面から3000 kmを中心とした帯構造の内帯と、地表面から20000 kmを中心とする外帯の2重構造になっており、陽子は地表面から2000 kmを中心とする一つの帯構造をしている。外帯の外部境界は地表面から60000 km程度の位置にある。地表面高度にして6000 kmから13000 kmの間の領域は内帯と外帯の中間領域にあたり、スロットと呼ばれている高エネルギー電子が少ない領域である。放射線帯中で陽子は数100 MeV程度まで、また電子は数10 MeV程度まで加速されている。内帯は長期間にわたって安定して存在するが、外帯は高速太陽風が低速太陽風を圧縮する領域や惑星間空間擾乱(ICME)などを起源とする地磁気嵐の発生で高エネルギー粒子数が増大するなどの変化を見せる。なお、低軌道の人工衛星は内帯の内側、静止衛星の軌道は外帯の外側にあり、バンアレン帯の影響を受けにくい軌道を取っている。
流星を参照。
中性子星(パルサー)の周りを公転する惑星の検出方法。もし中性子星に惑星があると、中性子星は惑星の重力を受け、惑星との共通重心の周りを公転する。惑星の軌道面が視線方向に対して垂直でない限り、中性子星は視線方向に運動し、中性子星からの規則的パルスは、ドップラー効果によって周期的変動を示す。これを電波観測により検出するのがパルサータイミング法である。1992年、ボルシュチャン(A. Wolszczan)とフレイル(D. A. Frail)によってパルサーPSR1257+12の周りを公転する2個の、地球質量の数倍程度の低質量天体が発見された。これを太陽系外惑星の発見と考えることも可能だが、これ以外のパルサー惑星の発見は数少なく、この低質量天体の正体は不明であり、一般の惑星とは成因も性質も異なると考えられている。このため一般の恒星の周りの最初の確実な惑星の発見は、1995年のペガスス座51番星を回るものとされる。
地球と似た生命が存在できる惑星系の空間。生命居住可能領域、生存可能圏などとも呼ばれる。液体の水が天体表面に安定に存在できる条件(表面温度が0℃ー100℃の範囲)から求められる。恒星のまわりの惑星やその衛星で定義されることが多いが、天の川銀河(銀河系)の中で議論されることもある。恒星の周囲の球状の空間で、太陽系では、太陽から0.97-1.39天文単位(au)程度である。恒星からの距離だけではなく、惑星に大気が存在することも重要な要素である。現在の地球の大気・海洋組成に対しては、太陽に近い内側の境界は、温室効果が強くなり水が蒸発を始めることで決まる。いったん蒸発が始まると、水蒸気による温室効果が強くなるため、温度はさらに上昇する。外側の境界は、惑星表面が凍り付く条件で決まる。いったん凍り始めると反射率が上がり、天体が獲得する太陽エネルギーが減少するため、さらに温度が低下する。
恒星のハビタブルゾーンの範囲は、中心の恒星の質量と年代、惑星の質量、自転速度、自転軸の傾き、大気の量と組成などにも影響を受ける。太陽系外惑星では、赤色矮星Gliese 581の周囲に発見されている6個の惑星のうち、内側から4番目の地球質量の3-4倍の天体Gliese 581 gが、ハビタブルゾーンのほぼ中央部に位置することがわかっている。2020年現在で、太陽系外の恒星のハビタブルゾーンにある地球サイズの惑星は約20個見つかっている。2017年には、みずがめ座の方向で距離約12パーセク(約40光年)にあるトラピスト-1という恒星(スペクトル型 M8)の周りに地球サイズの惑星が7個見つかった。このうち3個はハビタブルゾーンにある。
プトレマイオス(Ptolemaeus;c.90 - 168)は古代ギリシアの天文学者・地理学者。英語ではトレミー(Ptolemy)とも呼ばれる。天動説に基づいた著書、『アルマゲスト』は永く天文学の権威として読まれた。エジプトのアレクサンドリアに国立研究所のムセイオンがあり、そこで三角法などの幾何学を応用し地球中心説(天動説)の総合体系をつくった。
惑星の順行や逆行などの見え方は、中心が地球とは少しずれた導円(離心円)と、導円の上に中心のある周転円を組み合わせて説明した。周転円の半径などは観測に合うように決めた。惑星の運動をよりよく表現するために、導円の中心に対して地球と対称な位置にエカントと名づけた仮想的な回転中心を導入した。地球が不動であることは物理学的考察によって主張している。アリストテレスの天球論と組み合わされてプトレマイオス-アリストテレス体系と呼ばれた。他の著作に、占星術をまとめた『テトラビブロス』、また経緯度線入りのプトレマイオス世界地図がある。
『アルマゲスト(Almagest)』は『天文学大全』とも訳されるが、本来の書名はギリシャ語で『Μαθηματικὴ Σύνταξις』(Mathematike Syntaxis:数学全書)である。通称として『Ἡ Μεγάλη Σύνταξις』(He Megale Syntaxis:大全書)が用いられており、アラビア語に翻訳された際に付いた定冠詞Alがそのまま残り、Syntaxisが省略されて『Almagest』(The-greatest:最大)になった。
参考:https://mathshistory.st-andrews.ac.uk/Biographies/Ptolemy/
https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/A5A2A5EBA5DEA5B2A5B9A5C8.html
光学系で平坦な像面を得るための条件。光学系の各面についてその符号つき曲率半径 $R$ と前後の媒質の屈折率 $n$ および $n'$ を用いて
$$R\left(\frac{1}{n} - \frac{1}{n'}\right)$$
を計算し、すべての面について足しあげた量をペッツバル和と呼ぶが、これが0となることが平坦な像面になる条件で、ペッツバルの条件という。
ブラーエ(Tycho Brahe;1546-1601)は16世紀のデンマークの天文学者。当時としては革新的に高い精度の天体観測を行ない、そのデータは「ケプラーの法則」を導いた。
デンマークの有力な貴族家系の子として育ち、コペンハーゲン大学、ライプチヒ大学、ロストック大学、アウグスブルグ大学などヨーロッパ各地の大学で学んだ。コペンハーゲン大学時代に天文学に興味を持ったと言われている。ライプチヒ大学時代の1563年に彼は、木星と土星の合を観測し、この合の予測が、13世紀に作成された『アルフォンソ表』と大きくずれており、コペルニクスモデルによって作られたより近代的な『プロシャ表』でも数日ずれていることに気づき、精密な観測とそのための装置開発が必要なことを悟った。1566年、従兄弟との剣の決闘で鼻の一部を失い(二人は後に和解している)、生涯真鍮製の付け鼻をしていたと言われている。
1572年にカシオペヤ座に昼間でも見えるほどの星が現れた。これは今日の超新星であったが、ブラーエは新星(Nova)と呼び、小型の六分儀を用いて朝方と夕方観測し、月のように視差が検出できなかったことから、月よりもずっと遠くで起きた現象であることを突き止めた。1573年に、観測記録を合わせて『新星について』(De Nova Stella)を出版、天文学者として有名になった。さらに1577年に現れた大彗星の視差の観測から、この彗星は月より遠いことを示した。こうして彼はこれらが大気圏外の天体であり(彗星は大気現象と考えられていた)、恒星天の不変性というアリストテレス的考えが誤りであることを示した。
1576年、デンマーク王のフレデリック2世はティコに直轄王領地であったヴェーン島(フベン島)と、そこに作る天文台の建設資金を与えた。ブラーエは「天の城(ウラニボルグまたはウラニボリ)」と呼ぶ天文台を作り、学生や弟子達と天体観測を始めた。後にはその隣に「星の城(ステルンボルグ)」と呼ぶ地下天文台も作った。1588年にフレデリック2世が亡くなると、宮廷内での力は次第に衰え、1597年についに亡命を余儀なくされ、1599年に神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の後援を得て、宮廷天文学者としてプラハのベナテク城で研究活動を続けることになった。そこでドイツのケプラーを助手として招いたが、その1年半後の1601年に54歳で急死した。
ブラーエは、天体望遠鏡が発明される以前の天体観測者として、もっとも精度の高い観測を行った。またそのために数多くの観測機械を考案・改良した。その多くは失われたが、1598年の著書『新天文学の観測機械』(Astronomiae Instraurate Mechanica)に詳細な記録が残されている。半径が1.8mの四分儀の目盛部分にはダイヤゴナル目盛が使われ、最小目盛以下の数値が読みとられた。1000個以上の恒星の位置、太陽、月、惑星の観測を系統的に行ない、当時の古代ギリシャ伝承の観測天文学を革新した。
ブラーエの宇宙体系は地動説(太陽中心説)と天動説(地球中心説)の折衷的なもので、コペルニクスの太陽中心説の反対論者であった。1588年に刊行された『天体の新現象』(Astronomiae Instauratae Progymnasmata)の宇宙モデルでは、一番外側に恒星の分布する球殻状の恒星天があり、その中心に地球があり、地球の周りを月と太陽が公転しており、惑星は地球ではなく太陽の周りを公転している。「不動の大地」という概念を棄てられなかったのは、彼の高精度な観測を持ってしても恒星の年周視差を観測できなかったことによるといわれている。しかし、彼の長年に亘る精密な観測データがあったからこそ、ケプラーは楕円軌道による惑星の運動法則(ケプラーの法則)を発見し、その理論を基にした惑星表『ルドルフ表』(Rudolphine Tables)を1627年に刊行することができたのである。
球形粒子による光の散乱のことを指す。1908 年に出版されたミー(G. Mie)の論文で厳密に定式化されたため、このように呼ばれる。また、この理論のことをミー理論と呼ぶ。
散乱される光の波長よりもはるかに小さい粒子による散乱現象をレイリー散乱と呼ぶ。本来、ミー理論はレイリー散乱の場合も含むが、散乱される光の波長と同じ程度か大きいサイズの球形粒子による散乱のことを指してミー散乱と呼ぶことがある。散乱される光の波長に比べて、散乱する粒子のサイズが大きくなると、前方散乱が卓越するようになることが特徴である。
可視光で太陽の光球を観測したときに光球よりも明るく観測される領域のこと。白斑は波長430 nmを中心に1 nm程度の透過幅をもつ狭帯域フィルターで見ると高いコントラストで観測することができる。白斑は黒点の周りや、太陽極領域に顕著に観測されるが、他の領域では表面にまばらに散った明るい点状構造として観測される。白斑領域では、光球面で太陽表面に垂直方向に1000-1500ガウス程度の磁場が観測される。これらの磁場の基本要素は、直径が150km程度の微細な磁束管であるが、黒点領域周囲の白斑や極領域に見られる極域白斑はこれらが密集した領域であり、粒状斑の境界に孤立して観測されるものは点状白斑と呼ばれている。
受信する電波を、局部発振器からの参照信号と混合器で周波数混合し、低い周波数に変換し取り扱う方式の受信機。
取り出せる周波数は、受信電波と参照信号の差の周波となり、これを中間周波数(IF)と呼ぶ。これには増幅が容易なマイクロ波帯(1-12GHz)が使われる。
受信する電波の振幅および位相情報を取り出すことができるため、干渉性を保存しているので電波干渉計でも使用できる。また、単一開口鏡での観測でも、中間周波数信号に対する分光器で受信周波数での分光観測が可能となる。受信する電波の周波数と局部発信器からの参照信号が同じ周波数の場合は、ホモダイン受信と呼ばれる。超伝導受信機も参照。
フラウンホーファー(Fraunhofer, Joseph von;1787- 1826)はドイツの光学技術者で天体分光学の創始者。ババリアに生まれ、10歳前後に両親と死別、孤児の徒弟としてガラス工場で働くうちに教育を受ける機会を与えられ、技師として光学ガラスの研究に取り組んだ。ガラス材の光学分散を測るためプリズム分光器をつくり、分散特性を調べる際に太陽スペクトル中に多数の暗線を発見(1814年頃)、フラウンホーファー線と呼ばれるようになる。この暗線(吸収線)は地上の光源でも見え、場合によっては輝線となり、元素によって定まっていることを見つけた。これにより、天体と地上が同一物質でできていることがわかり、これらのスペクトル線を見て元素が同定できることが確定した。月と金星、シリウスや他の1等星のスペクトルにも吸収線をみつけている。プリズムによらない分光法として、回折格子も発明した。
彼の作った精密な望遠鏡は、主要な天文台に設置され、19世紀半ばに行われた多くの重要な研究のための手段を提供した。ベッセルは、フラウンホーファーが製作したケーニッヒスベルク恒星光度計を使って、長年の懸案であった恒星の視差(1838年、はくちょう座61番星)を検証した。フリードリッヒ・シュトルーべがベガの視差を同時期に測定したのも、フラウンホーファーの屈折望遠鏡によるものだった。1822年にエルランゲン大学から名誉博士号を授与され、1823年にはミュンヘンの物理学博物館の館長に任命されたが、1826年、39歳の若さで亡くなった。死因は肺結核とも、当時のガラス職人によく見られた重金属中毒とも言われ、彼の死と共にその技術は失われた。
ミー散乱を参照。
バイオシグネチャーを参照。
ヨーロッパ宇宙機関(ESA)が打ち上げた宇宙マイクロ波背景放射を観測するための人工衛星。名前は1918年にノーベル物理学賞を受賞したドイツの科学者マックス・プランク(M. Planck)にちなんでいる。2009年5月14日にハーシェル宇宙天文台とともに打ち上げられた。プランク衛星は、太陽と地球の作るラグランジュ点の一つであるL2点近傍を軌道運動し、搭載された2台の装置(低周波数装置(LFI)、高周波数装置(HFI))により30 GHzから857 GHzにわたる宇宙マイクロ波背景放射の温度ゆらぎを、それまでにない高感度(10-6) と高い角分解能(5分以上)で2012年まで精密測定した。
プランク衛星チームは2013年に最初の結果を発表したが、天の川銀河(銀河系)をはじめとする様々な天体からのノイズや測定装置自身のノイズの影響などを注意深く調べて、精度の高い結果を出すためのデータ解析作業を継続した。2015年に再度結果を公表した後も作業を継続し、2018年8月にプロジェクトしての12本の最終論文を公表した。
宇宙論パラメータに関する最終論文では、宇宙の構成要素の割合として、
(バリオン:ダークマター:ダークエネルギー)=(0.05:0.26:0.69)、
また、ハッブル定数は、H0=67.7 km/s/Mpc 、宇宙年齢は138億年の値が得られている。
(ただし、これはプランク衛星のデータに加えて他の観測データも含めて総合的に解析した結果である。また、論文では有効数字はもっと多いがここでは一部省略した。)
COBE衛星、WMAP衛星も参照。
プランク衛星チームのホームページ:
https://www.cosmos.esa.int/web/planck
ヨーロッパ宇宙機関のプランク衛星のホームページ:
https://www.esa.int/Our_Activities/Space_Science/Planck
