地動説
よみ方
ちどうせつ
英 語
heliocentrism
説 明
1543年にコペルニクス(N. Copernicus)が、当時の標準的な宇宙観であった天動説に対して提示した説。惑星は中心にある太陽の周りを公転するとした。学術上の名称は「太陽中心説(heliocentrism)」である。当初は、キリスト教会の権威に裏付けられた天動説に対する「異端」として迫害を受けた。ガリレオ(Galileo Galilei)が望遠鏡で木星の周りを回る衛星の観測を出版し(1610)、ティコ・ブラーエ(T. Brahe)の精密な惑星の観測データから、ケプラー(J. Kepler)が惑星運動の法則(ケプラーの法則)を導きだし(1619)、それが万有引力の法則によって説明されることをニュートン(I. Newton)が示して(1687)地動説が確立した。
コペルニクス以前にも、地球が動いているとする考えを持った人はいた。最も古くて有名なのは、サモスのアリスタルコス(Aristarchus)で、太陽中心説に基づいて、月の大きさや太陽までの距離の測定までも試みた。しかし、コペルニクス以前の説は一般には地動説とは呼ばない。
2019年01月07日更新
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