ジャイアントインパクトを参照。
ダークレーンを参照。
500メートル球面電波望遠鏡の略称。
インフレーション理論に基づく宇宙モデル。
赤方偏移を参照。
同位体のうち放射線を出して別の核種に変化するもの。放射性同位元素ともいう。英語のカタカナ読みのラジオアイソトープという名前も広く用いられる。放射性元素も参照。
月の位相のこと。
2022年の元日から大晦日までの「月の満ち欠け」の様子を1時間間隔で再現した約5分間の動画。月までの距離(中央の横線)の単位は地球の直径(28と32はそれぞれ約356,400 kmと406,700 km に相当する)。左下が、秤動によって地球から見えている月の面が周期的に変わる様子。
Video credit: NASA’s Goddard Space Flight Center
Data visualization by Ernie Wright (USRA)
Producer & Editor - David Ladd (AIMM)
Music provided by Universal Production Music: “Build the Future”- Alexander Hitchens
NASAの元サイト https://svs.gsfc.nasa.gov/4955
https://www.youtube.com/embed/c4Xky6tlFyY
周波数コムを参照。
周波数コムを参照。
日本の物理学者(1926-2020)。1955年ロチェスター大学PhD。1962年東京大学助教授。1967年東京大学理学博士。1970年同教授。1974年に高エネルギー物理学実験施設を設立。陽子崩壊の検出を目指して1983年に岐阜県神岡鉱山にニュートリノ観測施設カミオカンデを完成した。1987年に超新星1987Aからのニュートリノを検出。1996年スーパーカミオカンデ完成。2002年にはニュートリノ天文学創設の貢献により、レイモンド・デイヴィスと共にノーベル物理学賞を受賞した。他に朝日賞、日本学士院賞、フンボルト賞、ベンジャミン・フランクリン・メダル、文化勲章、勲一等旭日大綬章などを受賞。
追悼記事:東京大学大学院理学研究科
https://www.phys.s.u-tokyo.ac.jp/info/25794/
日本の天文学者(1928-2018)。1952年に東京大学東京天文台助手に着任。1958年東京大学理学博士。同年から1963年までスミソニアン天体物理観測所・ハーバード大学天文台客員研究員として滞米。帰国後東京天文台助教授、教授を経て。1981年より東京大学東京天文台長。1988年には東京天文台を改組発足した国立天文台の初代台長を1994年までつとめた。1983年からは日本天文学会理事長、1988年〜1991年には日本人として初めて国際天文学連合(IAU)の会長を務めた。専門は天体力学。人工衛星の軌道計算に必要な地球の重力ポテンシャル場を球面調和関数展開で求め、地球形状に西洋梨型の変形成分があることなどを明らかにした。米国が人工衛星を上げた時代に軌道計算の第一人者として米国に招聘された。小惑星の軌道の研究論文として発表された軌道変化を表す式は、21世紀に入り太陽系外惑星研究で脚光を浴び、近年その論文が「古在機構」として多数引用されている。国立天文台長として日本が外国に設置する初めての研究施設となったすばる望遠鏡計画を推進し、またレーザー干渉計重力波検出実験TAMA300を推進して、日本の重力波検出グループに貢献した。
1963年朝日賞、1979年日本学士院賞・恩賜賞、1980年日本学士院会員、1990年米天文学会ブラウアー賞、2002年勲二等瑞宝章、2009年文化功労者。
追悼記事:天文月報2018年7月号
https://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/2018_111_07/111-7_482.pdf#page=14
アメリカ物理学協会(American Institute of Physics: AIP)のオーラルヒストリーに納められているインタビュー記事(英語)
https://www.aip.org/history-programs/niels-bohr-library/oral-histories/24816
セルビア人で土木工学者から地球物理学者に転身したミランコビッチ(Milutin Milanković)が1910年代から40年代はじめにかけて提唱した、地球気候の長期的な変化が天文学的な要因によるとする仮説。ミランコビッチは、地球の公転軌道の離心率の周期的変化(約10万年周期)、自転軸の傾きの周期変化(約4万年周期)、及び自転軸の歳差運動(約2.6万年周期)の三つの要素の影響が合わさって、地球の高緯度帯に入射する日射量が変動し、地球の氷河期が始まったり終わったりするきっかけとなると考えた。彼は実際には、北半球の北緯65度の夏の日射量を1年かけて手計算で導き出した。
この仮説はミランコビッチが亡くなる1958年までに日の目を見ることはなかったが、直近の氷河期における気候の記録を広範に調査するCLIMAP(Climate: Long range Investigation, Mapping, and Prediction)プロジェクトの古海洋データを解析したアメリカのヘイズ(James D. Hays)、インブリー(Imbrie, J.)、シャクルトン(Shackleton, N. J.)が1976年にサイエンス誌に発表した論文で根拠となる証拠を発見し、その基本的考え方が広く受け入れられた。
過去100万年間の気候では、「氷期-間氷期」の約10万年周期の変動が卓越しているが、ヘイズ達の解析では約2万年と4万年周期の変動がもっとも顕著で、10万年周期は最も弱かった。これは「10万年問題」と言われている。この問題は現在でも完全に解明されているわけではないが、ミランコビッチサイクルに起因する日射量の変化が一種のペースメーカーとなって、大気(特にCO2濃度変化)-氷床-地殻・マントルからなる複雑な気候システムに作用し、非線形な相互作用が生じてそれが10万年周期を生み出していると考えられている。
日本の天文学者(1922-1985)。日本における電波天文学研究のパイオニアの一人で、マイクロ波帯での太陽電波研究の世界的権威と評された。愛知県豊川市にあった名古屋大学空電研究所で多素子電波干渉計を世界に先駆けて開発し、高い角度分解能による太陽面構造の研究の基礎を築いた。1976年東京大学東京天文台に転任後は、野辺山宇宙電波観測所の初代所長として、45m電波望遠鏡とミリ波干渉計よりなる大型宇宙電波望遠鏡の建設を指揮した。
神奈川県藤沢市生まれ。1944年東京帝国大学第一工学部電気工学科を卒業、同大学院特別研究生を経て、1949年名古屋大学助教授に就任、1958年同大教授に昇任、東京大学に転任するまでの26年余にわたり空電研究所において電波天文学に関する研究教育活動に専念するとともに、5年間は空電研究所長として研究所の運営と発展に努めた。空電研究所着任直後から、日本で初めてマイクロ波太陽電波の研究に着手し、世界最先端の太陽電波観測所を築き上げ、「世界のTOYOKAWA」としての名声を獲得することになった。
太陽電波は第二次世界大戦中の1942年に発見され、戦後各国がその観測・研究を競う研究分野となった。空電研究所着任後間もない1951年には、日本で初めてのパラボラ型電波望遠鏡(波長8 cm、口径2.5 m)を建設し、本格的な太陽電波観測をスタートさせた。その後観測波長を拡張し、1957年の国際地球観測年以来、マイクロ波4波長帯での高精度な連続観測を継続し、その質の高いデータは世界の太陽物理学および太陽地球間物理学の研究に多用され、その発展に大きく寄与した。波長8 cmと波長3 cmの多素子干渉計群の観測から、高エネルギー陽子を放出する大きな太陽フレアの発生を予測することができることを発見し、国際同時観測期間の設定や、気球観測の成功率向上に多大な貢献をした。さらには、2次元化された多素子電波干渉計(電波ヘリオグラフ)を使って太陽面の2次元電波画像の撮像に成功し、コロナホールの観測的研究などで数々の業績を残した。
国内・国際学会はもとより、日本学術会議や各種審議会の委員および様々な国際学術団体で重要な役職を務めるなど、日本国内のみならず国際的な学術の分野で精力的な活動を行った。東京大学定年後は、1982年に東洋大学教授(工学部電気工学科)に就任し、構内に設置した口径4mのパラボラアンテナを用いて指導学生とともに鏡面測定法の研究を進め、学校行政、研究教育に尽力した。
「天文月報」 追悼記事
https://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1986/pdf/19860303.pdf
https://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1986/pdf/19860305.pdf
陽子や原子核をPeV(=1015 eV ~ 10-4 J = 10 3 erg)を超えるエネルギーまで加速する天体。粒子加速器となっている天体の呼称として、「PeV」と、サイクロトロンなど加速器の名称の接尾辞に用いられている「-tron」からつくられた造語である。
宇宙線のエネルギースペクトルは、エネルギー E とともにべき乗則( E-α、α=2~3 )に従って急速に減少するが、およそ 3 PeV あたり(このエネルギーは宇宙線スペクトルの「ひざ (ニー、knee)」と呼ばれている)でべき指数 α が変化する(さらに急速に減少する)(宇宙線の項の図参照)。これは天の川銀河の磁場では宇宙線を銀河に閉じ込めておくことが難しくなり、漏れ出していくこと、および銀河宇宙線の主な起源とされる超新星残骸などにおける加速限界のあらわれである、と解釈されているが、少なくとも、このエネルギーまで粒子を加速する天体が銀河系内に存在することを示唆している。また、高エネルギーニュートリノやGZKカットオフまで伸びる宇宙線の観測から、銀河系外にもぺバトロンは存在していると考えられている。しかし、まだ具体的な天体としては、ペバトロンの候補がチベットASγ実験やLHAASO実験でいくつか報告されている段階にある。
重力の及ぶ空間の各点で指定される重力を表す物理量のこと。重力場があることでその点での重力が定まる。
一般に「場」とは、空間あるいは時空の各点で値が指定される物理量のことを言う。その物理量が値だけで指定される場合にはスカラー場、大きさと方向を持つベクトルで指定される場合にはベクトル場、それらの一般化であるテンソルで指定される場合にはテンソル場という。例えば、ニュートン重力の重力場は重力ポテンシャルというスカラー場で表すことができる。
ニュートン重力(万有引力(重力)の法則)においては、重力は質点間に働く力と説明されていたが、今では、各質点が時空の各点にベクトル場、またはそのポテンシャルであるスカラー場(重力ポテンシャル)を作り、その場(重力場)が他の質点に作用して重力を及ぼす、と理解されている。この解釈により、離れた場所における重力も重力場との近接作用と見なすことができる。アインシュタインの重力理論である一般相対性理論では、場の働きがより本質的になり、重力場はクリストッフェル記号、またはメトリックテンソルによって表される(測地線参照)。メトリックテンソルは、ニュートン重力における重力ポテンシャルに対応するが、10個の成分を持ち、曲がった時空の中の距離を与えることで、4次元的に曲がった時空の幾何学を記述する。また、クリストッフェル記号がゼロになる座標系(局所慣性系)は常に存在するので、真の重力場はそれを微分したリーマンテンソルによって特徴づけられる。これは重力が潮汐力であることによる。
京都大学が、名古屋大学、国立天文台、ナノオプトニクス研究所と協力し、京都大学岡山天文台として、旧国立天文台岡山天体物理観測所に隣接する敷地に建設した口径3.8 mの光学赤外線望遠鏡。名前は全国の一般応募の中から選ばれた。平安時代の陰陽師安倍晴明が設置場所近くの阿部山で天文観測を行ったとされること、および主たる科学目標の一つである太陽系外惑星探査が地球外生命の発見の手がかりになるのを期していることに由来する。主鏡は国内初の分割鏡であり、国内の望遠鏡としては最大口径である。2019年2月の初観測以来、リスクシェアモードで国内共同利用を行っている。
せいめい望遠鏡は、多数の新しい技術を開発したユニークな望遠鏡である。主鏡を構成する18枚のセグメント鏡は大きさ約1 mである。Keck 望遠鏡など多くのセグメント鏡に採用されている6角形とは異なり扇形にすることで、鏡の形状を2種類に減らす工夫が施された。主鏡の口径比をF/1.3と明るくすることにより鏡筒を短くし、セグメント鏡の厚みも約60 mmと薄くして軽量化した。経緯台方式ではあるが、センターセクションで主鏡セルを支えるのではなく、主鏡セルの下側にトラス構造を組み、それを2本のアークレールで支え、全体を方位テーブルの上に置く構造となっている。このようなさまざまな軽量化技術により、1.4トンの光学系を含む支持構造は8トンで、可動部分全体の重量は18トンに抑えられた(ちなみに口径が2.2倍のすばる望遠鏡の可動部分の重量は555トンである)。
せいめい望遠鏡は2021年初現在、「光子バケツ」としての性能しか発揮できていないが、主鏡面全体からの反射光の位相合わせを実現して、口径を活かした高解像度観測の実現に向けた努力がなされている。主な研究目標として以下のものが掲げられている。
・ガンマ線バースト、重力波源など高エネルギー爆発現象
・太陽と似た星のスーパーフレアのメカニズム
・ドップラー法による太陽系外惑星の探査と極限補償光学による直接撮像
・銀河と星惑星系の形成
京都大学岡山天文台
https://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/general/facilities/okayama/
京都大学3.8 m望遠鏡
http://www.kusastro.kyoto-u.ac.jp/psmt/
フリードマン(Aleksandr Aleksandrovich Friedmann;1888-1925)はロシアの数学者。ルメートルと独立に膨張宇宙論の数学的展開に寄与した。
音楽家の家に生まれ、1910年、サンクトペテルブルク大学卒業し、成層圏で温度が逆転する現象を理論的に追究した。気象や流体の研究を経て、1922年、一般相対性理論に基づく宇宙論の研究を行ない、一様で等方的な時空間の構造や世界時の概念などを提案した。これを基礎にアインシュタイン方程式から宇宙が膨張したり収縮したりする解を発見、いわゆるフリードマン宇宙を導いた。これにより、スライファーの見出した銀河の赤方偏移が説明されるなど、現代的宇宙論の基礎を与えた。
1925年、クリミアでの休暇中に感染したと思われる腸チフスのため、37歳で没した。
参考:https://www.physicsoftheuniverse.com/scientists_friedmann.html
マックス・ウォルフ(ヴォルフ)(Maximilian Franz Joseph Cornelius Wolf;1863-1932)はドイツの天文学者。1888年にハイデルベルグ大学で博士号を取り、1896年からハイデルベルク大学教授。写真観測による初めての小惑星発見者であり、その写真術を駆使して二百個以上の小惑星を発見した。1910年のハレー彗星の回帰を最初に観測し、太陽系近傍の恒星ウォルフ359を発見するなど、恒星、星雲の研究にも活躍した。1900年にイエナのカールツァイス社と共同でブリンクコンパレータを開発している。広視野天体カメラによる星野撮影にスターカウント法を導入して暗黒星雲を研究し(バーナードとは独立に初めて暗黒星雲の存在を正しく理解した)、北アメリカ星雲をはじめて写真撮影してその形から命名している。また、渦状星雲のスペクトルは恒星に似ていて、散光星雲と異なることを最初に示した天文学者の一人でもある。ミュンヘンのドイツ博物館建設のアドバイザー(1911年からは理事会メンバー)を務めながら、近代プラネタリウムのアイデアをドイツ博物館館長のオスカー・フォン・ミラーと協議した。しかし、第一次世界大戦によって中断を余儀なくされ、1923年にカール・ツァイス社のバウファルスフェルトの設計によるに第1号機が作られた。1930年ドイツ天文協会会長となり、ブルースメダル受賞。1932年10月ハイデルベルクにて没、69歳。
参考:https://phys-astro.sonoma.edu/node/1422
ルドルフ・ウォルフ(Johann Rudolf Wolf;1816-1893)はスイスの数学者、天文学者。エンケ、ディリクレ、ガウスらに学び、1844年ベルン大学の数学教授、1847年にはベルン天文台の所長、1855年にチューリッヒ大学、チューリッヒ工科大学の天文学の教授となり、1864年チューリッヒ天文台を創設した。素数、幾何学、確率、統計などの研究を行ない、シュワーベ(H. Schwabe)の発見した太陽黒点活動の11年周期を確認、太陽黒点活動は地磁気変動と同期していることにも気づいた。1849年、現在「ウォルフ数」といわれている黒点計数法を考案した。1280年から1340年の間の黒点活動の低下期間は、彼の功績を讃えウォルフ極小期と名付けられている。
