天文学では主に、中性水素雲や星間分子雲などの弱電離のガス雲から磁束が抜けることを指す。
ほぼ中性の星間雲でも宇宙線の影響でわずかに電離しており、荷電粒子が電磁場と相互作用する。中性ガス粒子が荷電粒子と大きな頻度で衝突する場合は、中性ガス粒子の運動も荷電粒子を通じて間接的に電磁場の影響を受け、電磁流体のように振る舞う。しかしながら、理想磁気流体力学における磁場の凍結した状態とは異なり、磁力線は中性ガスに凍結していない。したがって、自己重力などにより高密度に圧縮された流体である分子雲コアなどからは磁力線がゆっくりと抜け出ることになる。この磁力線のすり抜けの速度は電離度などに依存する。プラズマ物理学における用語とは異なるので注意が必要である。
2つの銀河が重力的に束縛し合った系のこと。ペア銀河とも呼ばれる。重力相互作用による潮汐力のため、銀河間を結ぶ方向に尾(テイル)状の構造がしばしば見られる。徐々に軌道角運動量を失って、いずれマージャーとなり合体するものも多いと考えられる。
光度階級ではVに分類される光度の低い星のことで、主系列星に相当する(英語名称の最後の star は省略されることが多い)。
アメリカ合衆国ウィスコンシン州ミシガン湖のほとり、ミルウォーキー南西のウイリアムズベイにあるシカゴ大学の天文台。1892年にシカゴ大学に職を得たヘール(G. E. Hale)が、シカゴの鉄道王ヤーキス(C. Yerkes)から資金援助を受け1897年に40インチ(102 cm)の屈折望遠鏡とともに天文台を開設した。光学技術者クラーク(A. Clark)の製作したこの望遠鏡は、1908年にウィルソン山天文台の60インチ望遠鏡ができるまで、世界最大であり、現在でも屈折望遠鏡としては世界最大のものである。このほかに、41インチと24インチの反射望遠鏡などがある。望遠鏡で観測するだけの場所でなく、研究者も常駐する研究所としての天文台の草分けといえる。20世紀中頃まで、世界の天文学の中心地の一つであった。
しかしシカゴ大学は2018年10月1日をもって、ヤーキス天文台を閉鎖することを決定した。望遠鏡は教育研究目的に随時利用し、収蔵された大量の写真乾板は研究者向けには利用可能にするとのことである。
2020年5月1日にヤーキス天文台の所有権はシカゴ大学からヤーキス未来財団(Yerkes Future Foundation)に移行した。
ホームページ:https://www.yerkesobservatory.org/
制限三体問題の特殊解。天体2(質量M2)が天体1(質量M1)の周りを円運動している場合に天体1と天体2を結ぶ線が固定するような座標系(x*-y*)を考えると、質量の無視できる天体3が静止したままでいられる場所が5つ存在する。これをラグランジュ点と呼ぶ。5つの内訳は、2天体の間に1つ(L1)、天体2の外側に1つ(L2)、天体1の外側に1つ(L3)、天体1・天体2と正三角形を作るようなところに2つ(天体2の進行方向側がL4、逆側がL5)である。
たとえば、トロヤ群小惑星は太陽と木星のL4、L5点に位置する。また、常時太陽を観測するSOHO衛星はL1付近に、太陽を立体視的に撮影するSTEREO衛星はL4とL5付近に、宇宙背景放射を観測するWMAP衛星はL2付近にある。
ピエール・オージェ(Pierre Victor Auger;1899-1993)はフランス・パリ生まれの物理学者。原子物理学、原子核物理学、宇宙線物理学の分野で活躍した。
第二次世界大戦中は自由フランス軍に加わり、原子エネルギー研究に関するフランス・イギリス・カナダのグループの創設に参加、モントリオールでこの部門の責任者となった。戦後はユネスコの科学局長に就任。国際的な研究機関の設立を強力に推進した。
原子の自己電離現象としてのオージェ効果と、その際に放出されるオージェ電子は彼の名をとって名付けられている。宇宙線の研究では、空気シャワー現象の発見者として知られる(1939)。アルゼンチンに超高エネルギー宇宙線観測のため国際協力で設置されたピエールオージェ実験は、彼の名を冠している。
原子の内殻と外殻のエネルギー差に等しいエネルギーを、さらに外側の殻にいる電子が獲得して、原子外に飛び出す現象をオージェ効果というが、この際に放出された電子をオージェ電子という。名称は物理学者オージェ(Pierre Auger)に由来する。
一つの銀河や星団に含まれる恒星の色-等級図上での個数密度分布を表す図のこと(図参照)。色-等級図を細かい領域(メッシュ)に分け、各領域に該当する恒星の個数で表現する。観測的にも比較的容易に得ることができるこの図を使うことで、該当する銀河や星団の年齢や元素存在度、進化の履歴などを知ることができる。その有効性を1924年に最初に発表したヘス(R. Hess)にちなむ。
オーストラリア連邦科学産業研究機構(CSIRO)の天文宇宙科学部門が運営している電波望遠鏡施設群の総称。英名の頭文字を採ってATNFと表記することもある。4つの観測施設を持ち、パークス64 m電波望遠鏡を有するパークス天文台、ナラブライにあるオーストラリア望遠鏡コンパクトアレイ(ATCA)を有するポールワイルド天文台、口径22 mのミリ波望遠鏡であるモプラ望遠鏡、オーストラリア平方キロメートル干渉計パスファインダー(アスカップASKAP)を有するマーチソン電波天文台からなる。またこれらの望遠鏡を結合したVLBIである長基線干渉計(LBA)も運用している。
ホームページ:http://www.atnf.csiro.au/
重力で支えられた天体においてその重力の作用が働く典型的な時間を指し、天体の平均密度を $\bar{\rho}$ とすると力学時間は $t_{\rm dyn}\sim 1/(G\bar{\rho})^{1/2}$ で与えられる($G$ は万有引力定数)。このように表された力学時間は、天体の重力場の中を軌道運動する粒子の軌道周期や天体がその自己重力で収縮してつぶれるまでの時間にほぼ匹敵する。
水素原子1個が酸素原子1個と結合したヒドロキシ基(水酸基)に対応するラジカルであり、ヒドロキシルラジカルと呼ばれる。星間空間のOHは1963年に米国のワインレブ(S. Weinreb)らが発見した。OHの基底状態は不対電子の軌道角運動量と分子回転の相互作用によってエネルギー準位が2つに分裂する Λ(ラムダ)型2重項と呼ばれる微細構造を持ち、さらにそれぞれのエネルギー準位が超微細構造で2つに分裂するので4つのエネルギー準位に分かれる。これらの準位間の遷移(微細構造線、超微細構造線)のうち4つが1.6~1.7 GHzの周波数帯にある。これらは波長では約18 cmである。また大質量星に付随する電離水素領域や晩期型星ではメーザー現象を起こすこともある。
メーザーを参照。
光学系の調整方法の一つ。カメラや望遠鏡などの結像光学系の光軸と、光軸上の反射面の法線方向を一致させるときに用いる。無限遠に調整した結像光学系の焦点面に点光源を置くと、光源からの光は平行光となってその光学系から出ていく。この平行光部分に(測定)反射面があり、平行光を来た方向に反射するとする。もし反射面の法線方向と結像光学系の光軸が平行となっていれば、反射された光はもとの結像光学系を通して光源位置に再結像する。このことを利用して、反射面の角度調整を行う。平行光部分に適当な光学系を置けば、曲率を持った反射面の角度調整も行える。
この原理を利用した装置が、オートコリメータである(図参照)。オートコリメータでは、適当な位置から照らした十字線を光源とし、ビームスプリッタで反射させてコリメータレンズに光を導く。コリメータレンズを通った光は平行光となり、反射面で反射されてコリメータレンズに戻り、ビームスプリッタを直進して焦点面で結像する。焦点面にも十字線を置き、再結像した光源の十字線の位置を測定し、オートコリメータの光軸に対する測定反射面の垂直度を測る。
ペトロシアン(A.R. Petrosian)が提唱した、銀河の明るさを測定するときにしばしば使われる半径。ある半径での局所的な平均表面輝度をその半径以内の平均表面輝度で割ったものをペトロシアン比と呼び、この比がある一定値となる半径をペトロシアン半径と呼ぶ。銀河全体の光度を測定するにはペトロシアン半径の定数倍の半径内の領域が使われる。銀河の大規模サーベイプロジェクトであるスローンデジタルスカイサーベイではペトロシアン比の値として0.2を採用し、そのペトロシアン半径の2倍の半径内で銀河の光度が測定された。
バルト・ボーク( Bart Bok;1906-1983)はオランダ出身のアメリカの天文学者。しばしばバート・ボックとも記される。オランダ名はバルトロメウス・ヤン・ボーク(Bartholomeus Jan Bok)。夫人(プリシラ・フェアフィールド)も天文学者で、結婚後も共同研究を続けた。オランダのホーンに生まれ、ライデン大学、グロニンゲン大学で学び、1929年にシャプレーに招かれ、米マサチューセッツ州ケンブリッジのハーバード大学に移り、1947年、ロバート・ウィラー・ウィルソン教授職となった。1957年には オーストラリアのストロムロ山天文台長となり、サイディングスプリング天文台の設立に尽力した。1966年アメリカに戻り、アリゾナ大学の天文学部長とスチュワード天文台長を1970年まで務めた。1970年からは国際天文学連合(IAU)の副会長を、1972年からはアメリカ天文学会の会長を1974年まで務めた。
星団や天の川銀河の構造と進化を研究し、M8をはじめとした散光星雲を背景にした球状の固まりを発見、それらは凝縮しつつあるガス雲で、形成初期の段階にある星であることを示唆、1949年には「グロビュール」と呼ぶことを提唱した。夫婦共に天文普及にも情熱を注ぎ、著書『The Milky Way(天の川)』は、これまでに書かれた一般向け天文学書の中で、最も成功したものの一つと言われている。1936年、ボストン・グローブ紙に「天の川のセールスマン」とも評された。1975年には『Objections to Astrology(占星術に異議を唱える)』という声明を共同執筆し、186人の天文学者、天体物理学者、その他の科学者から賛同を得ている。1977年、ブルース・メダル、1982年ヘンリー・ノリス・ラッセル講師職受賞。
参考:https://oa.anu.edu.au/obituary/bok-bart-jan-129/text130
https://phys-astro.sonoma.edu/node/137
重力相互作用をしている多体系に対する無衝突ボルツマン方程式の定常解で与えられる状態。
系が力学平衡にあるとは、系を記述する分布関数で決まる重力ポテンシャルを固定して考えたとき、分布関数が時間変化しないことである。力学平衡においてはジーンズの定理が成り立つ。
一様な物質分布の中で重たい物体が直線運動をすると、物質はその物体の重力によって散乱される。この状況を物質分布に対する静止系でみると、散乱後に物質は物体の重力によって加速されエネルギーを得ることになる。
物体はこの分のエネルギーを失いあたかも摩擦力を受けたように減速する。これを力学摩擦、あるいは力学的摩擦という。直観的には散乱によって物体の後ろにたまった物質と物体が重力で引き合うことによって物体が減速されると考えることができる。
焦点面に多数の受信部を並べた受信機のこと。電波望遠鏡では、従来、アンテナの焦点面には技術的な理由から1点のみを観測できる受信機を1台のみ配置することが多かった。しかし、これではマッピング観測を行う場合には時間効率が低く、改善が望まれていたため、天球上の複数の場所を同時に観測することができるマルチビーム受信機が開発された。超伝導受信機、2次元アレイ型検出器も参照。
オールト(Jan Hendrik Oort;1900-92)はオランダの天文学者。フリースランド州、フラネカー生れ。グローニンゲン大学でカプタイン(J.C. Kapteyn)のもとで学び大学を卒業したが、1922年にアメリカのエール大学の大学院に行き、それまでと全く異なる極運動の研究に携わった。1924年にライデン大学に戻り、高速度星の研究で1926年に学位を取得した。
1927-28年にリンドブラッド(B. Lindblad)の銀河回転仮説をもとに独自の研究を進め、銀河系(天の川銀河)が、球状星団に代表されるゆっくり回転する大きなハローと、高速で回転する銀河円盤(ディスク)の二つの成分からなることを実証した。また、銀河円盤中の太陽近傍の星の回転を、二つの定数(オールト定数)を導入して定式化した。観測される星の固有運動と視線速度がこの式でよく説明できることから、銀河系が回転していることを実証した。カプタインの「二星流説(恒星の運動がランダムでなく、反対方向の 2 組の流れに分かれる)」とリンドブラッドの仮説からはじまった銀河系の星々の運動の研究が、オールトにより一応の完成を見た。
第二次大戦終了前から星間中性水素原子の研究を始めた。共同研究者であったユトレヒト大学の学生ファン・デ・フルスト(van de Hulst)は、中性水素原子が波長21cmの電波(21cm線)を放射あるいは吸収することを予言した。この電波輝線は1951年にアメリカのユーイン(H.I.Ewen)とパーセル(E.M. Purcell)によって検出され、すぐにオールト達も検出に成功した。オールト達は、自らの21cm輝線による北天の観測と、オーストラリアのグループによる南天の観測を併せて、天の川銀河の大域的な中性水素ガス分布を示し、渦巻構造、銀河中心部、ガス雲の運動などを明らかにした。太陽が天の川銀河の中心から3万光年ほど離れたところにあり、その軌道を一周するのに2億2,500万年かかると算出し、天の川銀河の質量は太陽の1000億個分にほぼ等しいことも明らかにしている。天の川銀河(銀河円盤)の回転は差動回転であることも示した。
1950年、現在オールトの雲として知られている彗星の起源説を提案し、その後、かに星雲からの電波が偏光していることを見出し、シンクロトロン放射であることを確認した。
オールトは1924年からライデン大学で働き、1935年にライデン大学教授となった。しかし、1940年にナチスドイツがオランダに侵攻すると、それに抗議して公職を退き1945年まで田舎で暮らした。1945年ライデン大学に戻り、天文台長などを歴任し、92歳で亡くなる直前までライデン大学に所属していた。1958年から1961年の間、国際天文学連合(IAU)の会長を務めるなど、ヨーロッパ天文学界のリーダーであり、ヨーロッパ南天天文台をはじめとする国際機関の設立に大きな役割を果たした。
王立天文学会ゴールドメダル(1946年)、日本の京都賞(1987年)などの受賞歴がある。
参考:https://phys-astro.sonoma.edu/node/1448
https://www.esa.int/About_Us/ESA_history/Jan_Hendrik_Oort_Comet_pioneer
天の川銀河(銀河系)の回転に由来する、太陽近傍の恒星の系統的な運動を表す式に登場する2つの定数のこと。オールト(J.H. Oort)が定式化したのでこの名前がついた。天の川銀河の円盤部のすべての天体が銀河中心の周りを円運動しているとし、その公転半径を $R$、公転速度を $\Theta$ としたときに
$$A=\left.\frac{1}{2} \left(\frac{\Theta}{R} - \frac{d\Theta}{dR}\right)\right|_{R=R_{0}}\\ \hspace{1cm}B=\left.-\frac{1}{2} \left(\frac{\Theta}{R}+\frac{d\Theta}{dR}\right)\right|_{R=R_{0}} $$
で定義される。ただし、$R_{0}, \Theta_{0}$ は太陽の位置での半径(銀河中心からの距離)と公転速度を表す。この定義から直ちに
$$A-B=\frac{\Theta_{0}}{R_{0}},\\\hspace{1cm} A+B=\left.-\frac{d\Theta}{dR}\right|_{R=R_{0}} $$
であることがわかる。 太陽を含むすべての恒星が天の川銀河の中心の周囲を円運動しているとすると、太陽系から銀経 $l$、距離 $D$ にある天体の視線速度 $v_r$ と接線方向速度 $v_t$ は
$$v_r=\left(\frac{\Theta}{R} - \frac{\Theta_{0}}{R_{0}}\right)R_{0} \sin l, \\ \hspace{1cm}v_t=\left(\frac{\Theta}{R} - \frac{\Theta_{0}}{R_{0}}\right)R_{0} \cos l- \frac{\Theta}{R}D $$
となる。この式を $D \ll R_{0}$, $D \ll R$, $|R-R_{0}| \ll R_{0}$ の場合に1次近似すると、先に示したオールト定数 $A, B$ を用いて
$$ v_r=AD \sin 2l,\quad\\ v_t=(A \cos 2l + B)D $$
となる。後者はさらに $ \frac{v_t}{D}=A \cos 2l + B $ と変形でき、この左辺は固有運動の銀経方向成分である。
実際の恒星の運動には円運動からのずれがあるが、多数の恒星に対する観測によってそれを平均化できると仮定し、いろいろな銀経方向で様々な距離にある星の運動の観測からこの式に当てはまるパターンが見つかったことで銀河回転の証拠となった。また、その値から、$\Theta_0$ や $R_0$ が観測的に求められる。
