アルフレッド・ファウラー(Alfred Fowler;1868-1940)はイギリスの天文学者。ヨークシャーで生まれ、ノーマル・スクール・オブ・サイエンスで力学を学んだ。1885年、太陽物理観測所研究生として働き始め、インペリアル・カレッジで天体物理学の教官(後に助教授)に任命され、1920年に正教授となり、亡くなるまで同校で働いた。1919年からは王立天文学会の会長と国際天文学連合の初代事務総長を努めた。
分光学の権威で、 スペクトル線を使って太陽黒点の温度がその周辺より低いことを初めて明らかにしたり、電離ヘリウムのスペクトル線を実験室で初めて発見するなどし、電離ガス全般のスペクトルの理解に大きく貢献した。1915年王立天文協会ゴールド・メダル、1918年ロイヤル・メダル、1934年ブルース・メダル受賞。
参考:https://phys-astro.sonoma.edu/node/153
物体の形やその存在を認識する目の能力。対象物の細部をどれだけ見分けられるかで数値化される。見分けられるもっとも小さな構造に対する視角を角度の分(角度表示を参照)で表した数値の逆数が視力である。すなわち視力は以下の式で定義される。
視力=1÷見分けられる最小視角(単位は分)
したがって、1分角を見分けられる人の視力は1.0である。人間の視力は2.0程度までであるが、天文学の観測装置の能力を人の視力に例えるととてつもなく大きな数値となる。例えば、空間分解能1秒なら視力60、1ミリ秒なら視力6万となる。M87銀河の中心核と銀河系(天の川銀河)の中心核(いて座A*)にあるブラックホールのシャドウを可視化したイベントホライズンテレスコ-プの視力は300万(分解能20マイクロ秒)にも達する。
視力測定の標準指標として用いられるのは、パリで活動したスイス人眼科医のエドムンド・ランドルトによって開発されたランドルト環である(図参照)。外径7.5 mm、内径4.5 mm、切れ目の幅1.5 mmの黒い円環を5 mの距離から見て、切れ目(視角1分)の向きが判定できれば視力1.0とされる。
カッパ(κ)機構 (kappa mechanism) とは、恒星内部から外側に向かう放射エネルギーの流れ効率の変化によって恒星の脈動が自発的に引き起こされる機構をいう。カッパ(κ)とはガスの不透明度(opacity)のことなので、opacity mechanism といわれることもある。
通常のガスの状態では、不透明度は温度が上昇すると減少し、エネルギーが流れやすくなる。そのため、微小振動で圧縮され温度が上昇した層では、エネルギーが失われ、次に起こる膨張が弱くなり、微小振動は減衰する傾向となる。しかし、恒星のガスを構成する元素またはそのイオンが不完全電離の状態となっている層では、温度が上昇した際、不透明度が逆に大きくなるか、または、減少が抑えられる。そのような層では、圧縮の際に不透明度が増大し、エネルギーの流れが堰き止められ、その層に吸収される。そのエネルギーは次に起こる膨張を強くするので脈動を少しずつ成長させる効果を持つ。星全体として、減衰効果よりも成長効果の方が優っているとき、かっぱ機構による脈動が発生する。
図に示されているように、恒星内部で高温になるにつれて重い元素の不完全電離層が現れ、不透明度と温度の関係に’コブ’が現れる。原理的には、各不完全電離層でカッパ機構が働くが、内部深くの密度の高い場所では熱交換のタイムスケールが長いため脈動は断熱的に起こり、影響は非常に小さい。逆に、密度が非常に小さい表面近傍では熱交換のタイムスケールが非常に短く、ガスの不透明度の変化に関わらず、脈動の間に熱が自由に通過してしまいカッパ機構は働かない。熱的タイムスケールがおおよそ脈動の周期程度となっている(表面からより少し内側に位置する)層で、ある元素が不完全電離の状態となっている場合に、カッパ機構によって脈動が起こる。そのため、星の表面温度によって、どの元素のカッパ機構が重要であるかが決まる。例えば、HR図上でセファイド不安定帯のなかに位置する、セファイド、RRライリ型脈動星などはは数万度の層にあるHe+ の不完全電離層のカッパ機構で起こり、B型星のベータセファイド、低速脈動B型(SPB)星の脈動は数十万度での鉄の不完全電離層のカッパ機構で起こっている。さらに、O型星のDOV(PG1159)星の脈動は数百万度にある炭素酸素の不完全電離層のカッパ機構で起こっている。
低速脈動B型星のこと。
トムソンを参照。
ウィリアム・トムソン(William Thomson;1824-1907)はアイルランド生まれのイギリスの物理学者。爵位に由来するケルビン卿(Lord Kelvin)の名でも知られている。アイルランドのベルファストで生まれ、グラスゴー大学、ケンブリッジ大学を卒業し、1846年グラスゴー大学の自然哲学教授、1904年には同大学総長となった。
1848年に「温度が物体中のエネルギー総量を表す」という絶対温度の概念を導いた。この絶対温度の単位は後に彼にちなんでケルビン(K)と呼ばれるようになった。1851年には 「一つの熱源から熱を受け取り,そのすべてを仕事に変換することはできない」とするトムソンの原理から熱力学の第二法則を導くなど、古典的な熱力学の開拓者の一人と見られている。
1862年には、地球全体が融けた状態から現在の温度に冷えるまでの時間を求めるために、フーリエの熱伝導理論を用いて計算し、その年齢が数千万年、長くても4億年を越えることはないとした。また、同年に、太陽の熱が重力収縮によって発生するとし、太陽の年齢を1億年未満、最大で5億年とした。
1856年に王立協会ロイヤル・メダル、1883年にはコプリ・メダルを受賞している。
クリスティアン・アンドレアス・ドップラー(Christian Andreas Doppler;1803 -1853)は、オーストリアの物理学者、数学者。観測者と震動源との相対運動によって振動数が変化すること(いわゆる「ドップラー効果」)を音と光について詳しく調べ、1842年に『二重星と天界の星の光の色につい て』(Uber das farbige Licht der DoppelSterne und einiger anderer Gesterne des Himmels)を発表した。
ザルツブルグの石工業の家に生まれたが、少年時代は病弱であったため、商業に就かせたいとする父親の意向で師範学校に進んだ。その後6年制ギムナジウムの卒業資格を得、ザルツブルクで哲学を、ウィーン大学とインペリアル・ロイヤル工科大学で数学と物理学を学んだ。1835年にプラハ高等工業高校の数学教授員の職につき、1837年プラハ工科大学の数学と幾何学の助教授となり、1841年には同大学正教授、1847年にはケムニッツの鉱山森林学院の教授を経て1850年からはウィーン大学の物理学研究所初代所長となった。しかし、若い頃に父の石工場で働いたせいか肺病を患い、49歳で他界した。
ちなみに、ほぼ同時代にフルート奏者・作曲家として有名なハンガリーのドップラー兄弟[フランツ・ドップラー(Franz Doppler;1821-1883)と、カール・ドップラー(Karl Doppler;1825-1900)]がいるが、別人である。
参考:家 正則「ドップラー:その人生と業績」 天文月報2021年7月号
https://www.asj.or.jp/jp/activities/geppou/item/114-7_461.pdf
ハートビート星(Heartbeat stars)は、離心率の大きい軌道を持つ近接連星系で二つの星がもっとも近くなる近星点付近で潮汐力によって星の形が歪められ、面積が大きくなるため明るくなり、その増光が軌道周期間隔で繰り返される。その光度曲線がちょうど心電図に現れる曲線に類似してることからその名がつけられた。特に近年のケプラー、テスなどの測光観測衛星により数多くのハートビート星が見つかっている。
r-モード振動(脈動)はロスビーモードとも呼ばれ、恒星の自転に起因して発生する大きなスケールのロスビー波の固有振動で非動径振動の一つである。r-モード振動は、自転する星に乗った座標では、自転とは反対方向にゆっくりと伝播する。しかし、その伝播速度は自転速度に比べて小さいので、観測者(慣性座標)から見ると、自転と同じ方向に、自転速度よりゆっくりと伝播する。r-モード振動はかじき座γ星(γ Dor)型脈動変光星、太陽表面などで検出されている。
変則的セファイドのこと。
低速脈動B型星は、質量3〜7太陽質量の主系列星段階の脈動変光星である。英語名称のSlowly Pulsating B star からSPB星ともよばれる。脈動周期は約半日から数日で、非動径gモード振動(脈動)をしている。それらの振動は、恒星外層内の温度約20万度の層での鉄、ニッケル等の重金属の電離に伴うガスの不透明度の増加によるカッパ($\kappa$)機構によって励起されている。一つの星で数多くのgモードが同時に観測される多周期変光星である。これらの周期が1日程度であることから、地上の観測で正確な周期を求めることが難しかったが、ケプラー衛星、テス衛星等の大気圏外からの高精度の連続的測光観測が可能になったことで、正確な周期が求められるようになり、低速脈動B型星に対する星震学が急速に発展した。一つの星で観測される多くのgモード振動周期は、隣り合う周期の間隔と周期自身との間に規則的な関係があり。その関係から、その星の自転周期、主系列進化段階等の情報が得られる。
セファイド変光星は、恒星が主系列段階を終えたのち巨星となり、中心核でヘリウム燃焼が起こっている段階でHR図上のセファイド不安定帯(脈動不安定帯ともいう)と呼ばれる領域を通過する際に動径脈動が励起され、脈動変光星となっている恒星である。セファイド不安定帯はHR図上の狭い表面温度範囲で上下に伸びる帯状領域で、そこを横切る時の光度が大きいほど脈動周期が長いので、セファイド変光星には周期-光度関係が存在する。
変則的セファイド(アノマラスセファイドともいう)の周期-光度関係(図中赤色の線)は、通常の(古典的)セファイドの周期-光度関係とタイプII セファイドの周期-光度関係の中間に位置する。古典的セファイド変光星は、太陽質量の約4倍よりも重い星の中心でヘリウム燃焼が起きている段階でHR図上の不安定帯を通過するので、もっとも明るい周期-光度関係を持つ。一方、タイプIIセファイドは種族 IIの小質量星が中心ヘリウム燃焼が終わった後の段階で不安定帯の中に入って脈動する脈動変光星なので、その周期-光度関係は古典的セファイドの関係よりも暗い。種族 IIの星が中心ヘリウム燃焼段階に不安定帯を通過する際、周期1日程度以下の脈動をするが、このタイプの変光星は、こと座RR型変光星(RR ライリ)と呼ばれ、セファイドとは呼ばれない。
変則的セファイドの周期-光度関係は通常の単独星の進化段階としては説明が難しく、近接連星系(連星を参照)での質量移動または恒星合体による説明も考えられている。また、変則的セファイドは球状星団には存在しないが、矮小銀河で多く存在することが知られている。
ウィラマイナ(ウィリアミーナ)・フレミング(Williamina Paton Stevens Fleming;1857- 1911)はアメリカの女性天文学者。スコットランドのダンディーに生まれ、20歳でジェームス・フレミングと結婚、アメリカのボストンへ移住した。息子を妊娠中にジェームスがいなくなったため、生計を立てるためにハーバード大学天文台長のピッカリング(E. Pickering)の家で住み込みのメイドとして雇われた。聡明な彼女はピッカリングの信頼を得、1881年に計算助手(コンピューター)としてハーバード大学天文台に採用された。9年間に1万個以上の星のスペクトル型を分類、その結果は1890年に『ドレーパー星表』(Draper Catalogue of Stellar Spectra)として出版された。フレミングの分類はキャノン(A. J. Cannon)に引き継がれ、ハーバード分類の基礎となった。生涯で59個のガス星雲、310個の変光星、10個の新星を発見している。
当時のイギリス王立協会では女性は会員になることができなかったので、多大な貢献をした女性は名誉会員に叙せられた。フレミングは、カロライン・ハーシェル(Caroline Herschel)、メアリー・サマヴィル(Mary Somerville)、アン・シープシャンクス(Anne Sheepshanks)、マーガレット・ハギンズ(Margaret Huggins)、アグネス・クラーク(Agnes Clerke)につぎ6番目の女性名誉会員で、アメリカ人女性初であった。
ちなみに「フレミングの右(左)手の法則」を考案したのは、イギリスの電気技術者、物理学者のジョン・フレミング(Sir John Fleming;1849 -1945)で、世界初の抗生物質、ペニシリンを発見したのは、イギリス・スコットランドの細菌学者アレクサンダー・フレミング(Sir Alexander Fleming;1881 -1955)である。
B型準矮星(sdB 星)はHR図上、通常の準矮星よりも表面温度(25000 - 40000 K)と光度(~30太陽光度)が高く、水平分枝星の高温方向への延長上の領域に位置する。質量は約0.5太陽質量で質量の大半はヘリウムと中心で起こっているヘリウム核燃焼の生成元素(炭素、酸素)からなる。薄い外層は主に水素からなる。
B型準矮星が通常の水平分枝星よりも表面温度が高くなっているのは外層が非常に薄いことが原因である。その薄い外層の成因としては、連星系を構成していて、伴星との潮汐作用により、外層がはぎ取られてしまったか、単独星の場合は、以前に近接連星系を構成していた2つのヘリウム白色矮星の合体したものとも考えられている。通常、外層は主に水素からなるが、まれに、ヘリウムが非常に多い外層をもつ場合もある(He-sdB)。
B型準矮星の約10%は、非動径振動による多周期脈動変光星となっている。比較的表面温度の高い星はpモード振動で周期 ~ 1.5-10分で変光し、比較的表面温度の低い星はgモード振動で周期は45分から3時間程度である。また、中間の表面温度をもつ星では、pモードとgモード振動の両方のタイプの変光をするものもある。
B型準矮星は中心でのヘリウム核燃焼終了後白色矮星へと進化する。
roAp星は強い双極磁場を持つA型特異星(ro は rapidly-oscillating の略)で、周期4--20分程度の高速振動する脈動変光星である。その振動は非動径振動で軸対称の高周波p-モード振動である。そのため、その周期は、HR図上同じような場所に位置に位置する δ Sct(たて座δ)型脈動変光星周期の十分の1程度である。振動の対称軸は双極磁場の軸に沿っており、その振動励起機構には強い磁場が影響をおぼぼしていると考えられるが、よく理解されていない。一般に双極磁場は星の自転軸と傾いており、一方振動の対称軸は磁軸にそっているので、星の自転とともに、振動の見え方が変わり、振幅も変化する。
R CrB 型星は小質量(~1太陽質量)の超巨星(表面温度;6000 - 8000 K; 光度おおよそ1万太陽光度 )で、その表面には水素がほとんど存在せず、おもにヘリウムと炭素を主な組成とする外層をもつ(水素欠乏星)。このタイプの変光星の最も顕著な特徴は、最大8−9等級にも及ぶ減光が不規則に起こることである。減光は表面からのダストの放出によって急激に起こり多くの場合数年のタイムスケールでゆっくりと元の光度に戻る。最大減光はその都度異なり予測不能である。また、大きな減光とは別に脈動による周期30〜60日の小さい振幅の変光を示す。R CrB型星は我々の銀河に35個程度(代表例:R CrB, RY Sgr, S Aps, UW Cen)、LMCに17個程度しか見つかっておらず、稀な天体である。R CrB 型星の起源は、炭素酸素白色矮星(~0.6Msol;Msolは太陽質量)とヘリウム白色矮星(~0.4Msol)が合体したもの、または単独星で、桜井天体と同様最後のヘリウム殻フラッシュ(熱パルス)を起こしている天体と考える二つの説がある。
桜井天体(Sakurai’s Object; いて座 V4334星) は1996年にアマチュア天文家櫻井幸夫氏によって発見された。当初、光度変化の比較的遅いタイプの新星 (Slow nova) と考えられていたが、発見後の研究により、(伴星から降り積もった)白色矮星水素層の爆発的核燃焼で起こる新星ではなく、水素層より内部の薄いヘリウム層で暴走的ヘリウム核燃焼(ヘリウム殻フラッシュ または熱パルス)が起こって白色矮星の光度と半径が数年のタイムスケールで大きくなる現象であることが判明した。この現象は、本来漸近巨星分枝進化段階で繰り返し起こるヘリウム殻フラッシュが、漸近巨星分枝進化の最後の段階で、最外層の水素層が質量放出で非常に薄くなり、(漸近巨星分枝を離れて高温の)白色矮星への進化が始まった後に起こったもので、「最後の(または遅延した)殻フラッシュ(または熱パルス)」などと呼ばれる珍しい現象である。恒星進化の理論モデルによると、初期の膨張は数十年のタイムスケールで収縮に転じる。実際、広い範囲の波長による観測は、桜井天体が収縮に転じていることを示している。また、その表面には炭素などのヘリウム核燃焼生成元素が出てきており、質量放出によりダストが形成され大きな減光が起きていることなどが分光観測によって明らかになっている。
バーナード(Edward Emerson Barnard;1857- 1923)はアメリカの天文学者。テネシー州ナッシュビルに生まれ、9歳から写真スタジオで働き始め、1880年代、篤志家の援助を受けながら8個の新彗星を発見するとともに、1883年にバンダービルド大学の附属天文台観測員となり、同大学に学んだ。1887年に学部卒の資格を得、翌年ハミルトン山に完成したリック天文台員となった。長時間露光による写真観測法を取り入れて天の川を撮影したり、暗黒星雲やグロビュール等やバーナードループ(1894年)をはじめとする淡い星雲を検出するとともに、木星の第5衛星(アマルテア)を発見(1892年)した。
40インチ(102cm)屈折望遠鏡の建設中の1895年、シカゴ大学ヤーキス天文台に移り、以後亡くなるまで28年間を過ごした。ヤーキス天文台では恒星の位置観測も行ない、大きな固有運動で有名なバーナード星を発見(1916年)している。1897年に王立天文学会ゴールドメダル、1917年にブルース・メダルを受賞。
参考:https://phys-astro.sonoma.edu/node/133
ジョルダーノ・ブルーノ(Giordano Bruno;1548-1600)はイタリアの哲学者、天文学者。ナポリ近郊のノラに生まれ、ナポリ大学に学ぶ。17歳でドミニコ会修道院に入り修道士となった。しかし、当時主流だったアリストテレス学説やスコラ哲学に疑問を持ち、様々な思想・哲学から独自の哲学を生み出した。1576年に「異端の嫌疑」をかけられて逃走、それ以後イタリアを離れてヨーロッパ各地を遍歴した。パリを経てロンドンに滞在中、『原因・原理・一者について(De la causa, principio et uno )』(1584年)、『無限、宇宙および諸世界について(De l'infinito, universo et mondi)』(1854年)、『英雄的狂気(De gli eroici furori) 』(1585年)などの代表作を発表した。1585年パリに戻り、さらにドイツ各都市を巡る旅を続けたが、1591年にヴェネツィアに戻ったところを官憲によって逮捕され、ローマの異端審問所に引き渡された。そのまま7年の歳月を牢獄で過ごし、異端審問で自説の完全な撤回を求めらたが拒否したため、1600年1月に死刑が確定、同年2月にカンポ・デ・フィオーリ広場で火刑に処された。
コペルニクスの地動説は、太陽を不動の中心としてその周りを地球や惑星、恒星天が回転するという有限で閉じた世界であったが、ブルーノは太陽でさえ一個の恒星にすぎず、恒星はそれぞれの惑星を伴って無限の宇宙を自由に運動している、と主張した。彼の説は自然観察をもとにしたものではなかったが、近代以降の宇宙観を先取りするものであった。
ブルーノの処刑については20世紀になってから再検証がなされ、1979年にカトリック教会が公式に異端判決を取り消している。
マックス・プランク(Max Karl Ernst Ludwig Planck;1858-1947)は「量子論の父」とも呼ばれるドイツの理論物理学者。デンマーク領のキールに生まれ、ミュンヘン大学、ベルリン大学に学び、1879年ミュンヘン大学より学位取得。1885年からキール大学教授となり、1889年にベルリン大学へ、1926年にはカイザー・ウィルヘルム研究所に移り、1930年にその所長となった。
1900年に黒体放射(熱放射)の分布式(プランク分布)を導出、その過程で黒体放射の入っている空洞壁の振動子のエネルギーが連続した値を取ることができず、とびとびの値(ある単位の整数倍)になっていると仮定し、「量子革命」を起こすことになった。光の最小単位に関する定数 $h$ はプランク定数と名づけられ、物理学における基礎定数の一つとなった。これらの功績により1918年にノーベル物理学賞を受賞した。
プランクは二男二女の父であったが、長男を第一次世界大戦で亡くし、二人の娘を出産で亡くしている。次男も1944年にヒットラーの暗殺に加わったとして処刑されている。ヒットラー政権に批判的な立場でドイツに残り続けたが、1944年のベルリン空襲で家財を全て消い、ゲッティンゲンで終戦を迎えた。その後カイザー・ウィルヘルム研究所再建に尽力し、同研究所はマックス・プランク研究所と改名され、プランクは1946年に名誉会長となった。翌年ゲッティンゲンで死亡、89歳であった。
