低速脈動B型星は、質量3〜7太陽質量の主系列星段階の脈動変光星である。英語名称のSlowly Pulsating B star からSPB星ともよばれる。脈動周期は約半日から数日で、非動径gモード振動(脈動)をしている。それらの振動は、恒星外層内の温度約20万度の層での鉄、ニッケル等の重金属の電離に伴うガスの不透明度の増加によるカッパ($\kappa$)機構によって励起されている。一つの星で数多くのgモードが同時に観測される多周期変光星である。これらの周期が1日程度であることから、地上の観測で正確な周期を求めることが難しかったが、ケプラー衛星、テス衛星等の大気圏外からの高精度の連続的測光観測が可能になったことで、正確な周期が求められるようになり、低速脈動B型星に対する星震学が急速に発展した。一つの星で観測される多くのgモード振動周期は、隣り合う周期の間隔と周期自身との間に規則的な関係があり。その関係から、その星の自転周期、主系列進化段階等の情報が得られる。
セファイド変光星は、恒星が主系列段階を終えたのち巨星となり、中心核でヘリウム燃焼が起こっている段階でHR図上のセファイド不安定帯(脈動不安定帯ともいう)と呼ばれる領域を通過する際に動径脈動が励起され、脈動変光星となっている恒星である。セファイド不安定帯はHR図上の狭い表面温度範囲で上下に伸びる帯状領域で、そこを横切る時の光度が大きいほど脈動周期が長いので、セファイド変光星には周期-光度関係が存在する。
変則的セファイド(アノマラスセファイドともいう)の周期-光度関係(図中赤色の線)は、通常の(古典的)セファイドの周期-光度関係とタイプII セファイドの周期-光度関係の中間に位置する。古典的セファイド変光星は、太陽質量の約4倍よりも重い星の中心でヘリウム燃焼が起きている段階でHR図上の不安定帯を通過するので、もっとも明るい周期-光度関係を持つ。一方、タイプIIセファイドは種族 IIの小質量星が中心ヘリウム燃焼が終わった後の段階で不安定帯の中に入って脈動する脈動変光星なので、その周期-光度関係は古典的セファイドの関係よりも暗い。種族 IIの星が中心ヘリウム燃焼段階に不安定帯を通過する際、周期1日程度以下の脈動をするが、このタイプの変光星は、こと座RR型変光星(RR ライリ)と呼ばれ、セファイドとは呼ばれない。
変則的セファイドの周期-光度関係は通常の単独星の進化段階としては説明が難しく、近接連星系(連星を参照)での質量移動または恒星合体による説明も考えられている。また、変則的セファイドは球状星団には存在しないが、矮小銀河で多く存在することが知られている。
ウィラマイナ(ウィリアミーナ)・フレミング(Williamina Paton Stevens Fleming;1857- 1911)はアメリカの女性天文学者。スコットランドのダンディーに生まれ、20歳でジェームス・フレミングと結婚、アメリカのボストンへ移住した。息子を妊娠中にジェームスがいなくなったため、生計を立てるためにハーバード大学天文台長のピッカリング(E. Pickering)の家で住み込みのメイドとして雇われた。聡明な彼女はピッカリングの信頼を得、1881年に計算助手(コンピューター)としてハーバード大学天文台に採用された。9年間に1万個以上の星のスペクトル型を分類、その結果は1890年に『ドレーパー星表』(Draper Catalogue of Stellar Spectra)として出版された。フレミングの分類はキャノン(A. J. Cannon)に引き継がれ、ハーバード分類の基礎となった。生涯で59個のガス星雲、310個の変光星、10個の新星を発見している。
当時のイギリス王立協会では女性は会員になることができなかったので、多大な貢献をした女性は名誉会員に叙せられた。フレミングは、カロライン・ハーシェル(Caroline Herschel)、メアリー・サマヴィル(Mary Somerville)、アン・シープシャンクス(Anne Sheepshanks)、マーガレット・ハギンズ(Margaret Huggins)、アグネス・クラーク(Agnes Clerke)につぎ6番目の女性名誉会員で、アメリカ人女性初であった。
ちなみに「フレミングの右(左)手の法則」を考案したのは、イギリスの電気技術者、物理学者のジョン・フレミング(Sir John Fleming;1849 -1945)で、世界初の抗生物質、ペニシリンを発見したのは、イギリス・スコットランドの細菌学者アレクサンダー・フレミング(Sir Alexander Fleming;1881 -1955)である。
B型準矮星(sdB 星)はHR図上、通常の準矮星よりも表面温度(25000 - 40000 K)と光度(~30太陽光度)が高く、水平分枝星の高温方向への延長上の領域に位置する。質量は約0.5太陽質量で質量の大半はヘリウムと中心で起こっているヘリウム核燃焼の生成元素(炭素、酸素)からなる。薄い外層は主に水素からなる。
B型準矮星が通常の水平分枝星よりも表面温度が高くなっているのは外層が非常に薄いことが原因である。その薄い外層の成因としては、連星系を構成していて、伴星との潮汐作用により、外層がはぎ取られてしまったか、単独星の場合は、以前に近接連星系を構成していた2つのヘリウム白色矮星の合体したものとも考えられている。通常、外層は主に水素からなるが、まれに、ヘリウムが非常に多い外層をもつ場合もある(He-sdB)。
B型準矮星の約10%は、非動径振動による多周期脈動変光星となっている。比較的表面温度の高い星はpモード振動で周期 ~ 1.5-10分で変光し、比較的表面温度の低い星はgモード振動で周期は45分から3時間程度である。また、中間の表面温度をもつ星では、pモードとgモード振動の両方のタイプの変光をするものもある。
B型準矮星は中心でのヘリウム核燃焼終了後白色矮星へと進化する。
roAp星は強い双極磁場を持つA型特異星(ro は rapidly-oscillating の略)で、周期4--20分程度の高速振動する脈動変光星である。その振動は非動径振動で軸対称の高周波p-モード振動である。そのため、その周期は、HR図上同じような場所に位置に位置する δ Sct(たて座δ)型脈動変光星周期の十分の1程度である。振動の対称軸は双極磁場の軸に沿っており、その振動励起機構には強い磁場が影響をおぼぼしていると考えられるが、よく理解されていない。一般に双極磁場は星の自転軸と傾いており、一方振動の対称軸は磁軸にそっているので、星の自転とともに、振動の見え方が変わり、振幅も変化する。
R CrB 型星は小質量(~1太陽質量)の超巨星(表面温度;6000 - 8000 K; 光度おおよそ1万太陽光度 )で、その表面には水素がほとんど存在せず、おもにヘリウムと炭素を主な組成とする外層をもつ(水素欠乏星)。このタイプの変光星の最も顕著な特徴は、最大8−9等級にも及ぶ減光が不規則に起こることである。減光は表面からのダストの放出によって急激に起こり多くの場合数年のタイムスケールでゆっくりと元の光度に戻る。最大減光はその都度異なり予測不能である。また、大きな減光とは別に脈動による周期30〜60日の小さい振幅の変光を示す。R CrB型星は我々の銀河に35個程度(代表例:R CrB, RY Sgr, S Aps, UW Cen)、LMCに17個程度しか見つかっておらず、稀な天体である。R CrB 型星の起源は、炭素酸素白色矮星(~0.6Msol;Msolは太陽質量)とヘリウム白色矮星(~0.4Msol)が合体したもの、または単独星で、桜井天体と同様最後のヘリウム殻フラッシュ(熱パルス)を起こしている天体と考える二つの説がある。
桜井天体(Sakurai’s Object; いて座 V4334星) は1996年にアマチュア天文家櫻井幸夫氏によって発見された。当初、光度変化の比較的遅いタイプの新星 (Slow nova) と考えられていたが、発見後の研究により、(伴星から降り積もった)白色矮星水素層の爆発的核燃焼で起こる新星ではなく、水素層より内部の薄いヘリウム層で暴走的ヘリウム核燃焼(ヘリウム殻フラッシュ または熱パルス)が起こって白色矮星の光度と半径が数年のタイムスケールで大きくなる現象であることが判明した。この現象は、本来漸近巨星分枝進化段階で繰り返し起こるヘリウム殻フラッシュが、漸近巨星分枝進化の最後の段階で、最外層の水素層が質量放出で非常に薄くなり、(漸近巨星分枝を離れて高温の)白色矮星への進化が始まった後に起こったもので、「最後の(または遅延した)殻フラッシュ(または熱パルス)」などと呼ばれる珍しい現象である。恒星進化の理論モデルによると、初期の膨張は数十年のタイムスケールで収縮に転じる。実際、広い範囲の波長による観測は、桜井天体が収縮に転じていることを示している。また、その表面には炭素などのヘリウム核燃焼生成元素が出てきており、質量放出によりダストが形成され大きな減光が起きていることなどが分光観測によって明らかになっている。
バーナード(Edward Emerson Barnard;1857- 1923)はアメリカの天文学者。テネシー州ナッシュビルに生まれ、9歳から写真スタジオで働き始め、1880年代、篤志家の援助を受けながら8個の新彗星を発見するとともに、1883年にバンダービルド大学の附属天文台観測員となり、同大学に学んだ。1887年に学部卒の資格を得、翌年ハミルトン山に完成したリック天文台員となった。長時間露光による写真観測法を取り入れて天の川を撮影したり、暗黒星雲やグロビュール等やバーナードループ(1894年)をはじめとする淡い星雲を検出するとともに、木星の第5衛星(アマルテア)を発見(1892年)した。
40インチ(102cm)屈折望遠鏡の建設中の1895年、シカゴ大学ヤーキス天文台に移り、以後亡くなるまで28年間を過ごした。ヤーキス天文台では恒星の位置観測も行ない、大きな固有運動で有名なバーナード星を発見(1916年)している。1897年に王立天文学会ゴールドメダル、1917年にブルース・メダルを受賞。
参考:https://phys-astro.sonoma.edu/brucemedalists/edward-e-barnard
ジョルダーノ・ブルーノ(Giordano Bruno;1548-1600)はイタリアの哲学者、天文学者。ナポリ近郊のノラに生まれ、ナポリ大学に学ぶ。17歳でドミニコ会修道院に入り修道士となった。しかし、当時主流だったアリストテレス学説やスコラ哲学に疑問を持ち、様々な思想・哲学から独自の哲学を生み出した。1576年に「異端の嫌疑」をかけられて逃走、それ以後イタリアを離れてヨーロッパ各地を遍歴した。パリを経てロンドンに滞在中、『原因・原理・一者について(De la causa, principio et uno )』(1584年)、『無限、宇宙および諸世界について(De l'infinito, universo et mondi)』(1854年)、『英雄的狂気(De gli eroici furori) 』(1585年)などの代表作を発表した。1585年パリに戻り、さらにドイツ各都市を巡る旅を続けたが、1591年にヴェネツィアに戻ったところを官憲によって逮捕され、ローマの異端審問所に引き渡された。そのまま7年の歳月を牢獄で過ごし、異端審問で自説の完全な撤回を求めらたが拒否したため、1600年1月に死刑が確定、同年2月にカンポ・デ・フィオーリ広場で火刑に処された。
コペルニクスの地動説は、太陽を不動の中心としてその周りを地球や惑星、恒星天が回転するという有限で閉じた世界であったが、ブルーノは太陽でさえ一個の恒星にすぎず、恒星はそれぞれの惑星を伴って無限の宇宙を自由に運動している、と主張した。彼の説は自然観察をもとにしたものではなかったが、近代以降の宇宙観を先取りするものであった。
ブルーノの処刑については20世紀になってから再検証がなされ、1979年にカトリック教会が公式に異端判決を取り消している。
マックス・プランク(Max Karl Ernst Ludwig Planck;1858-1947)は「量子論の父」とも呼ばれるドイツの理論物理学者。デンマーク領のキールに生まれ、ミュンヘン大学、ベルリン大学に学び、1879年ミュンヘン大学より学位取得。1885年からキール大学教授となり、1889年にベルリン大学へ、1926年にはカイザー・ウィルヘルム研究所に移り、1930年にその所長となった。
1900年に黒体放射(熱放射)の分布式(プランク分布)を導出、その過程で黒体放射の入っている空洞壁の振動子のエネルギーが連続した値を取ることができず、とびとびの値(ある単位の整数倍)になっていると仮定し、「量子革命」を起こすことになった。光の最小単位に関する定数 $h$ はプランク定数と名づけられ、物理学における基礎定数の一つとなった。これらの功績により1918年にノーベル物理学賞を受賞した。
プランクは二男二女の父であったが、長男を第一次世界大戦で亡くし、二人の娘を出産で亡くしている。次男も1944年にヒットラーの暗殺に加わったとして処刑されている。ヒットラー政権に批判的な立場でドイツに残り続けたが、1944年のベルリン空襲で家財を全て消い、ゲッティンゲンで終戦を迎えた。その後カイザー・ウィルヘルム研究所再建に尽力し、同研究所はマックス・プランク研究所と改名され、プランクは1946年に名誉会長となった。翌年ゲッティンゲンで死亡、89歳であった。
ハンス・リッパヘイ(Hans Lipperhey;1570-1619)はオランダのレンズ職人(眼鏡職人)で望遠鏡の発明者とされる。リッペルハイ(リッペルヘイ)またはリッペルスハイ(リッペルスヘイ)とも記される。ドイツのヴェセルに生まれ、オランダのミデルブルフに移住し1594年に結婚、終生ミデルブルフに暮らした。
同じオランダのレンズ職人のヤコブ・メチウス(Jacob Metius)かザハリアス・ヤンセン(Zacharias Janssen)がリッパヘイよりも先に望遠鏡を発明したとの説もあるが、1608年にリッパヘイはメチウスよりも数週間早く、特許の申請をした記録が残されている。リッパヘイは特許を得ることはできなかったが、オランダ政府から報酬を得た。「オランダ式遠近鏡(Dutch perspective glass)」と呼ばれたリッパヘイのオリジナルのものは、凸の対物レンズと凹の接眼レンズで構成されており、倍率は3倍程度であった。このタイプは後にガリレオ式と呼ばれるようになる。また「望遠鏡」という名称は、1611年にジョヴァンニ・デミジアーニ(Giovanni Demisiani)によって、ガリレオのアカデミア入りを祝う宴の席で初めて使われたとされる。
参考:
https://tenkyo.net/kaiho/pdf/2019_01/04rensai-1akiyama.pdf
https://tenkyo.net/kaiho/pdf/2019_05/02rensai-1akiyama.pdf
https://tenkyo.net/kaiho/pdf/2019_07/03rensai-01akiyama.pdf
アルゴルパラドックスとは、連星系の星々が恒星の進化の理論と矛盾しているように見える状況を指す。アルゴルは変光星の名前、パラドックスとは矛盾を意味する英語である。
通常、恒星の進化速度は質量が大きいほど進化が速くなる。しかし、アルゴルや他の連星の場合、質量の小さい星が既に(準)巨星に進化しているのに対し、質量の大きい星はまだ主系列にとどまっている。連星系はほぼ同時に形成されたと考えられているため、これは逆説的である。現在この問題は、重い星が先に進化して膨張・質量放出し、その質量の大部分が軽い星に移動することで解決されると考えられている。
中心天体の周りを公転する天体が摂動を受ける系において、当該天体の近点引数と離心率と軌道傾斜角が連動して振動する現象。典型的には円制限三体系に於いて被摂動天体の軌道傾斜角が大きな場合に発現するが、それ以外の場合にも程度の差こそあれ発生する。この振動の結果として被摂動天体の離心率や軌道傾斜角が大きな値を取ることがあり、それは当該天体の力学進化に対して影響を及ぼし得る。この現象は19世紀末から20世紀初頭にかけてスウェーデンのフォンツァイペル(Hugo von Zeipel)が彗星運動の理解のため作り上げた理論体系の中に記述された。しかし、フォンツァイペルのこの業績は広く知られることなく歴史の狭間に埋もれ続け、1960年代になりソビエト連邦のリドフ(Mikhail Lvovich Lidov)および日本の古在由秀が同一の理論を再び見出すに至った。
以下では太陽(中心天体)の周りを小惑星や彗星などの小天体が周回し、その天体がその外側または内側にある大きな天体(惑星など)から重力的な摂動を受ける場合を例として考える。惑星の軌道が円ならばこの系はいわゆる円制限三体系を構成する。小天体(被摂動天体)が惑星(摂動天体)の内側を周回する場合を内側問題と呼び、被摂動天体が摂動天体の外側を周回する場合を外側問題と呼ぶ。内側問題でも外側問題でも、被摂動天体の角運動量の鉛直成分の絶対値が小さいとその近点引数が平衡値の周囲を振動(秤動)し得る。この平衡値は $\frac{\pi}{2}$ または $\frac{3\pi}{2}$ であることが多いが、他の共鳴との相互作用などがあればこれ以外の値を取ることもある。近点引数が秤動せずに回転する場合でも、被摂動天体の離心率 $e$と軌道傾斜角 $I$ は近点引数 $\omega$ と連動して振動する。これがフォンツァイペル-リドフ-古在振動である。被摂動天体が持つ角運動量の鉛直成分は量 $\sqrt{1-e^2} \cos I$ に比例する。時間的に平均された円制限三体系に於いてこの量は保存量となるが、その絶対値が小さいとは、即ち摂動天体の軌道面に対する被摂動天体の軌道傾斜角が大きいことを意味する。被摂動天体の近点引数の秤動が発生する閾値となる軌道傾斜角$I$の下限値は被摂動天体の軌道半長径 $a$ と摂動天体の軌道半長径 $a^\prime$ の比 $(a/a^\prime)$ に依存する。
内側問題に於いて $a/a^\prime \ll 1$ ならばそれは$I \sim 39^\circ$ であり、外側問題に於いて $a'/a \ll 1$ ならば $I \sim 63^\circ$ である (いずれも被摂動天体の離心率 $e$ が0の時の値)。なお、被摂動天体の軌道傾斜角 $I$ に関するこれらの条件は必要条件に過ぎず、十分条件ではないことにも留意しなければならない。軌道傾斜角$I$ が上記の値より大きくても近点引数の初期値によってはそれが秤動せず、回転する場合もある。
フォンツァイペル-リドフ-古在振動に起因する被摂動天体の離心率と軌道傾斜角の振幅は時に大きく、それが天体運動の安定性や軌道進化に甚大な影響を及ぼすこともある。この振動が見られるのは彗星や小惑星の運動に限らない。惑星を周回する衛星(含む人工衛星)、太陽系の最外縁にあるオールトの雲(銀河系による潮汐力が摂動として働く)、太陽系外にある多様な惑星たち、そして三体系としての近似が有効である恒星系での天体運動など、様々な局面でフォンツァイペル-リドフ-古在振動は発現し、系の力学進化に関与する。1990年代に太陽系外縁天体や太陽系外惑星が発見されてから、フォンツァイペル-リドフ-古在振動の研究は急激にその活発さを増した。この振動と平均運動共鳴との相互作用(例えば冥王星の運動はその状態にある)、摂動天体が複数のある場合の効果、そして摂動天体の軌道が円ではないことに起因する積分不可能性もしくはカオス性(「離心フォンツァイペル-リドフ-古在振動」)等々に関する議論が盛んであり、それらは現代の天体力学に於ける中核の一つを構成する。
この振動に関するフォンツァイペルの理論が現代に於いて本格的な日の目を見たのは、彼の著作群の出版から一世紀以上を経過した2019年であった。それまで、我が国に於いてこの現象は「古在機構」「古在振動」「古在共鳴」等と称されていた。現在ではフォンツァイペル-リドフ-古在振動(または機構)という名称が国際的に浸透している。
空中望遠鏡を参照。
屈折望遠鏡の一種。対物レンズを空中高く吊し、それを地上の観察者が手元に置いた接眼レンズでみる構造になったもの。接眼レンズ、および、光軸に対して横からの迷光を遮断するための遮光板も対物レンズと同じ支柱からぶら下げているが、鏡筒がないのが標準的な構造である。
初期の望遠鏡のレンズには単レンズが用いられており、焦点距離が短いと色収差が顕著に表れるという問題があった。これを解決するために口径に比べて極端に長焦点のレンズを用いることが考えられ、それを実現したのが空中望遠鏡である。歴史的にはヘベリウスが作った望遠鏡が有名。
2つの異なる屈折率のガラスを組み合わせることで色収差を軽減する色消しレンズが18世紀に発明されると、取扱の不便さから利用されなくなった。
なお、空気望遠鏡と呼ぶこともあるが、これは英語でのaerial telescopeに対する誤訳と考えられる。
輻射流束密度の単位で、Jyで表す。$1\ \rm{Jy}=10^{-26}\ \rm{W\ m^{-2}\ Hz^{-1}}$。輻射流束密度とは、電磁波の強度を表す物理的概念であり、単位時間に、光線に垂直な単位断面積当たりに運んでくるエネルギー量のことである。1960年頃までに行われていた電波天文学で観測されていた周波数や天体からの電磁波強度が1~100程度になるように決められた単位で、その名称は太陽系外から来る電波を発見したカール・ジャンスキーにちなむ。厳密には国際単位系SIには含まれないが、SI同様に1/1000や1/100万を意味するmやμが付されたmJyやμJyも使われている。
チリ共和国・アタカマ地方にある標高5640 mのチャナントール山の山頂におかれる口径6.5 mの大型光学赤外線望遠鏡(TAO望遠鏡)と、山麓のサンペドロ・デ・アタカマ市にある山麓研究施設を中心とする天文台。東京大学大学院理学系研究科附属天文学教育研究センターが運用している。2024年4月30日にTAO望遠鏡サイトの完成記念式典が行われた。2025年からの本格運用を予定している。TAO望遠鏡サイトは、世界一標高の高い天文台として2011年にギネスに認定された(2009年から同サイトで口径1 mの望遠鏡miniTAOが運用されている)。
TAO望遠鏡は世界一の標高にあるため、大気中の水蒸気量が少なく赤外線の波長域でも大気の透明度が極めて高い(大気の窓を参照)。このため、従来は地上からの観測が難しかった中間赤外線での観測が可能となる。この特長を活かしてTAOは、宇宙初期に生まれた銀河(原始銀河)の観測を進めて銀河の形成・進化をさぐることと、原始惑星系円盤と惑星の形成およびその材料となるダスト(固体微粒子)の形成と破壊過程などをさぐることの二つを主要な目標に掲げている。
TAO望遠鏡の観測装置には、中間赤外観測装置 MIMIZUKU (Mid-Infrared Multi-field Imager for gaZing at the UnKnown Universe) と近赤外線 2 色同時多天体分光撮像装置 SWIMS (Simultaneous-color Wide-field Infrared Multi-object Spectrograph)の二つがある。 MIMIZUKU は、中間赤外波長の 2-38μm という広い波長範囲をカバーし、30 μm 帯で 1 秒角と言う世界最高の角分解能(解像度)を有する。また、Field Stacker という 2 視野を同時に観測できるシステムを世界で初めて実用化し、赤外線の時間変動も高精度で検出できる。
SWIMS は、0.9~2.5 μm の近赤外線波長域において撮像機能と冷却スリットマスクによる多天体分光機能を備えた近赤外線観測装置である。 0.126秒角/pixel という高い空間分解能で直径9.6分角の広視野をカバーし、近赤外線の 2 波長域(blue: 0.9~1.4 μm/ red: 1.4~2.5 μm)の同時撮像・ 同時多天体分光を行うことができる。TAO 望遠鏡サイトの特長である連続的な大気の窓を活かし、波長0.9~2.5 μm のスペクトルを切れ目なく取得することができる。このほか、初期観測装置として近赤外線エシェル分光装置NICE(Near-Infrared Cross dispersed Echelle spectrograph)を有しており、第二期観測装置の開発も進めている。
TAO計画では、最先端のプロジェクト研究を行うのみならず、観測時間の一部を共同利用として国内からの提案を募り、大学による次世代研究者育成も大きな目標としている。
紫金山-アトラス彗星(C/2023A3)はオールトの雲起源の非周期彗星。2023年1月9日に中国の紫金山天文台で発見され、同年2月22日に南アフリカのATLAS望遠鏡(Asteroid Terrestrial-impact Last Alert System:地球衝突小惑星の発見を目的とした自動観測プロジェクト)で独立に検出されたため、両方の観測所の名前から名づけられた
近日点通過は2024年9月27日で、距離は0.391天文単位。地球に最接近するのは、2024年10月12日(0.47天文単位)。その前後に肉眼で見えるぐらいに明るくなるのではないかと期待されている。
東京大学アタカマ天文台(TAO)山頂施設で撮影された紫金山-アトラス彗星。2024年10月1日5時00分-6時20分(チリ時間)の80分間に得られた静止画803カットからタイムラプス処理をおこなって作成した動画。
撮影 : 東京大学TAOプロジェクト/中西昭雄
https://www.youtube.com/embed/PXNK62SQcd0?si=G9OPTdpLKXGBmbtm"
パーカー・ソーラー・プローブは、アメリカ航空宇宙局(NASA)の太陽観測探査機で、2018年8月に「デルタ IV ヘビー」で打ち上げられた。
金星の重力を利用して計7回の減速スイングバイを行って軌道の近日点を太陽へ接近させ、最終的に太陽表面から約616万km(太陽半径の8.86倍)まで接近する予定。太陽からの熱や放射に耐えられるよう、厚さ11cmの炭素複合材で出来た太陽シールドを持ち、連結式の太陽電池パネルは水冷システムで低温に保たれ、太陽に接近する際には保護のために折りたたんでの収納が可能である。
打ち上げから3年後の2021年、8回目の近日点通過において、太陽表面から約1000万kmの距離まで接近し、コロナへの突入に史上初めて成功した。
この探査機は計画段階からソーラー・プローブ・プラス(Solar Probe Plus)と呼ばれていたが、宇宙物理学者ユージン・パーカーを称えて2017年5月に現在の名前に改称された。
光子球を参照。