天体暦を基にして船の航海のために便利なように編纂した暦。天球上における星、月、太陽などの日々の位置が記載され、時しん儀(クロノメーター)・六分儀とともに天文航法に用いる。日本では、海上保安庁海洋情報部が発行する『天測暦』と『天測略暦』がある。以前は「船舶安全法」に基づいて定められた国土交通省令「船舶設備規程」により、外洋を航海する船舶はこれらを備えておくことが義務づけられていたが、全地球測位システム(GPS)の普及によって、2002年に義務対象から外された。暦(れき)も参照。
海上保安庁海洋情報部『天測暦』と『天測略暦』のサイト:https://www1.kaiho.mlit.go.jp/KOHO/
光軸に対して斜めに入射する光線が像面で一点に集まらないために起こる収差。
像面では彗星のコマ(頭)から拡がる尾のような形を示す。収差の大きさは入射角に比例する。
原子は、いくつかの特定の状態をとるが、ある状態から別の状態に移るときに特定の周波数の電磁波を放出したり吸収したりすることが知られている。この特定の周波数の電磁波を基準とした時計を原子時計と呼ぶ。たとえばセシウム原子時計の場合、9192631770 Hzのマイクロ波を出すことが知られているが、ここから1秒という時間の長さが定義されている。つまり、現在の1秒の長さの定義は「セシウム133原子の基底状態の2つの超微細準位間の遷移に対応する放射の9192631770周期の継続時間」である。このほか、ルビジウム原子時計や水素メーザー原子時計などがある。高精度のものは15桁の精度を持ち、これは3000万年に1秒程度しか狂わないものとなる。現在ではさらに3桁精度の高い光格子時計の研究が進められている。
ある天体から見た2天体の黄経または赤経が一致するときを指す。たとえば、惑星が地球から見てちょうど太陽方向に来るような場合がこれであり、地球よりも内側の軌道を回る内惑星(水星や金星)の場合、惑星が地球から見て太陽の向こう側に位置する外合(superior conjunction)と、手前側に位置する内合(inferior conjunction)がある。とくに、太陽と月の合は朔(さく)あるいは新月と呼ばれる(朔望、月の位相も参照)。
一般に、太陽との合は太陽に近いため観測には適さないが、朔の特殊ケースとして月が太陽を覆い隠す日食が起こったり、内合の特殊ケースとして内惑星が太陽の前を横切る太陽面通過(日面経過ともいう)という珍しい現象が起こったりすることもある。また、月と惑星の合の特殊ケースとして月が惑星を隠す掩蔽(星食)と呼ばれる現象が起こったり、惑星とその周りの衛星の合の特殊ケースとして掩蔽や経過が起こったりすることもある。衝、矩も参照。
光学系を構成する光学素子は完全ではないために、明るい光源(天体)からの光の意図しない反射などにより生じる偽物の像。透過素子であるレンズは、わずかであってもレンズ表面での反射が避けられない。反射した光は別のレンズや鏡などを屈折や反射して焦点面に到達し多種多様な像を生じる。フィルター表面や検出器表面での反射、反射ミラーによる散乱によっても同様のゴーストが見られる可能性がある。
サーベイ観測に用いられる広視野のシュミット望遠鏡による画像では、補正板やフィルターなどによるさまざまなゴーストが見られる。すばる望遠鏡の主焦点におかれるシュプリームカム(Suprime-Cam)やハイパーシュプリームカム(HSC)では、写野補正光学系を構成する多数のレンズ面によるゴーストが発生する。ゴーストを抑える対策としては、減反射コーティングを施すことや、光学系の設計時にゴーストが焦点面に明確な像を結ばないように考慮することが挙げられる。
黄道上で太陽の黄経(黄道座標系を参照)が90度になる時刻。この時刻を含む日(夏至日)も一般には夏至とよばれている。6月20日頃で、二十四節気の一つである。日本(北回帰線以北の北半球)では夏至の日に太陽の南中高度が最も高くなり、昼の時間が最も長くなる。二至二分も参照。
太陽-地球-月がこの順番にほぼ一直線となり、地球の影に月が入って暗くなる現象。地球の半影に入る場合は月が暗くなったことはほとんどわからない。このため、一般的には単に月食というと、月が地球の本影に入る本影月食のことを指す。
月食が起こるのは満月のときだけであるが、満月のときに毎回月食が起きるわけではない。それは黄道と白道が約5°傾いているためである。わずかな角度と感じるかも知れないが、地球と月との距離は約38万kmと地球の直径の約30倍もあるため、わずかな角度でも地球の影の外を月が通過することになり、両者の交点の近くで満月になるときにのみ月食が起こる。月が完全に隠される場合を皆既食、一部のみ隠される場合を部分食という。日食と違って月食は、月が見える場所なら地球上のどこからも見え、皆既食の継続時間は最大1時間40分以上にも達する。月食の起こる頻度は平均で年間約1.4回で、日食の頻度(平均で年間約2.2回)より少ない。
皆既食のときでも月は完全な暗黒ではなく、微かな赤褐色に見える。これは地球大気によって屈折や散乱された光が、地球の本影中に入り込むからである。青い光は散乱されやすいので地球の大気を透過しにくいが、赤い光は散乱されにくく、青い光に比べて地球大気を透過しやすいので、皆既食中の月の色は赤っぽくなる。散乱は大気中の塵や雲などによって影響を受けるので、皆既食中の月の色や明るさは月食の度毎に微妙に異なる。日食も参照。
月食が起きる仕組み(国立天文台)
https://www.youtube.com/embed/qq8I-Ri47Hs
直前の新月からの経過時間を日の単位で表した数値。0 から約29.5までの値をとる。月の位相も参照。
1582年にローマ教皇グレゴリオ13世(Pope Gregory XIII)によって、従来のユリウス暦を廃して新たに制定された暦。1582年10月15日金曜日から適用されている。ユリウス暦同様に太陽暦であるが、季節とのずれを改良する以下の置閏法に基づいている。
(1) 平年の1年は365日、うるう(閏)年は2月に1日加えて366日とする
(2) 西暦年数が4で割り切れる年はうるう年
(3) ただし、100で割り切れるが400で割り切れない年は平年
(1) と(2) はユリウス暦と同じだが、(3) が新たに加えられた。この規則により、400年に97回のうるう年があることになり、1年の平均の長さは、
(365×400 + 97) / 400 = 365.2425 日
となり、1太陽年(約365.24219日)とのずれは0.0003日となった。すなわち、3000年後でも季節とのずれはわずか1日弱である。
キリスト教徒にとって重要な祝祭日である復活祭の日取りの決定はローマ・カトリック教会にとって重要事項であった。もともとは太陰太陽暦であるユダヤ暦で決められていたが、ユリウス暦と季節のずれの影響が明らかになりはじめた頃のニケーア公会議(325年)で、復活祭は「春分後、初めての満月の直後の日曜日」と決められ、さらにそのときまでの季節とのずれを補正して、「春分の日は3月21日とする」ことも決められた。紀元前45年から使用されていたユリウス暦と季節とのずれは、グレゴリオ13世の時代には10日近くにもなっていたため、教皇は改暦を決断した。当時の有名な数学者・天文学者のクラビウス(C. Clavius)を中心とする法王直属の委員会は、天文学者・医者のリリウス(A. Lilius)が最初に考案した置閏法に基づいてグレゴリオ暦を制定した。グレゴリオ暦では、それまでのユリウス暦と季節のずれを解消するために、1582年10月4日(木)の翌日が1582年10月15日(金)となり、曜日は連続したが、日付は10日飛ばされている。暦(れき)も参照。
矩(く)とは、ある天体から見た2天体の黄経または赤経の差が90°となるときを指す。地球中心から見た外惑星の方向が太陽からちょうと90°ずれた方向にあるときに使われることが多い。
太陽の方向から東に90°ずれた方向に外惑星がある場合を東矩(とうく)と呼ぶ。東矩のころは夕方に惑星が南中する。とくに、月の場合は上弦と呼ばれる。
太陽の方向から西に90度ずれた方向に外惑星がある場合を西矩(せいく)と呼ぶ。西矩のころは明け方に惑星が南中する。月の場合は下弦と呼ばれる。
内惑星が矩になることはない。合、衝も参照。
金環食ともいう。日食を参照。
国立天文台三鷹 金環日食映像(2012年5月21日)
https://youtu.be/RrIbnr2DRBo
アメリカ航空宇宙局(NASA)の木星探査機。1989年10月に打ち上げられ、1995年から2003年までの間、木星と衛星、磁気圏などの観測を行った。1995年12月の木星到着時には、プローブを木星大気に突入させ、大気組成や構造を計測した。金星、地球のフライバイを用いて木星まで到達する間に、金星、地球、月のほかに小惑星ガスプラ、イダを観測した。1994年7月にはシューメーカー-レビー第9彗星の木星衝突を観測した。地球からは木星の裏側になる衝突地点をガリレオ探査機からは観察することができた。高利得パラボラアンテナを展開できなかったため、データ通信量が非常に限定された(毎秒100ビット程度で当初予定の1000分の1)。ガリレオ衛星の詳細地形など、多くの新しい成果を挙げた。その中でも、衛星ガニメデの自己励起磁場の存在は、予想していなかった大発見である。
視太陽時と平均太陽時の差。均時差=視太陽時ー平均太陽時で定義される。均時差は2月中旬に最小値(約-15分)、11月初旬に最大値(約+16分)となる。また年に4回、4月15日、6月14日、9月1日、および12月25日に0となる。アナレンマも参照。
国際原子時(TAI)において24時間(86400秒)で定義された1日と、地球の自転から決まる1日(平均太陽日)とのあいだには僅かながら違いがある。
このため、国際原子時(TAI)をもとに、ずれを調整した時刻系である協定世界時が定められ、現在の標準的な時刻系すなわち時刻標準として用いられている。1972年以降は秒の長さを1原子秒に固定し、世界時 UT1とのずれを0.9秒以内に保つようにうるう秒を追加または削除することにより修正する方式が用いられている。つまり、TAI=UTC+整数秒であり、|UT1-UTC|<0.9秒となる。この管理は国際度量衡局(BIPM)が国際地球回転・基準系事業(IERS)と協力して担当している。
日本の標準時である中央標準時は協定世界時+9時間である。
なお、2022年11月18日、第27回国際度量衡総会において、2035年までにUT1-UTCの許容値を0.9秒から引き上げることが決議された。
カイパー(Gerard Peter Kuiper;1905-73)はオランダ生まれのアメリカの天文学者。1933年にライデン大学で学位取得後アメリカに移住し、1936年からはヤーキス天文台に勤務、1950-52年の間ヤーキス・マクドナルド小惑星掃天観測を指導した。1960年にはアリゾナ大学に月惑星研究所を創設し、現代的な惑星科学を確立した。カイパー飛行機搭載天文台やカイパーベルトにその名を残している。太陽系成因説では巨大惑星が最初にできたとする説を唱え、月面クレーターの成因に言及した。
主な業績は次の通り。土星のタイタンにメタンとアンモニアの大気を発見(1944)、火星を赤外分光器などで観測(1948)、天王星に衛星ミランダを発見(1948)、海王星に衛星ネレイドを発見(1949)、冥王星の自転周期6.4日を決定(1950)、火星の極冠は二酸化炭素ではなく水の氷と主張(1956)、月探査機レインジャー号の科学主任となり月面研究(1960年代)、赤外線観測の重要性を唱え、飛行機搭載タイプの天文台を提案・実行(1960〜1970年代)。
月の位相を参照。
合を参照。
ある中心天体の周りを回る2天体があるとき、中心の天体から見た2つの天体の方向が一致する現象を会合と呼び、会合から次の会合までの平均時間間隔を会合周期と呼ぶ。具体的には、太陽から見て2惑星が合となる平均間隔や、惑星から見てある衛星と太陽が合となる平均間隔などを指す。 天体1、天体2の公転周期をそれぞれ
で表される。
オーストラリアのニューサウスウェールズ州サイディングスプリングにあるオーストラリア国立大学(ANU)が運用する天文台。口径3.9 mのアングロオーストラリア望遠鏡(AAT)、UKシュミット望遠鏡(UKST)、口径2.3 m望遠鏡および口径1.3 mの全自動望遠鏡SkyMapper等の望遠鏡がある。
ホームページ:http://www.sidingspringobservatory.com.au/
(ANU) https://rsaa.anu.edu.au/observatories/siding-spring-observatory
ガウス(Carl Friedrich Gauss;1777-1855)はドイツの数学者、物理学者、天文学者。数論から測地学、光学と広範な研究を行ない、19世紀最大の数学者といわれる。ニーダーザクセン州ブラウンシュヴァイクで貧しい労働者の子として生まれたが、幼少から神童の誉れ高く、7歳にして1から100までの級数が101の50組の和であることを示したというエピソードがある。1798年にゲッティンゲン大学を卒業、20歳代前半までに、正17角形の作図法、楕円関数の二重周期性、最小自乗法、代数学の基本定理の証明、整数論など、画期的研究成果をあげた。
1801年に発見された小惑星ケレスと第2の小惑星パラスの軌道決定、および軌道決定理論は天文学上の大きな業績である。1807年にはゲッティンゲン大学教授と同天文台長を務め、測地学、地磁気学でも多くの優れた研究成果を残した。その後、新天文台建設(1816年完成)に邁進するとともに、数列、特殊関数、積分法、統計などの数学研究を行なった。1818年には実際に測量に従事し、1820年代は測地学に進んだ。1800年代から非ユークリッド幾何学に興味をいだき、1816年に平行線の話を書いた。1828年、微分幾何学の本を出版。1830年代は物理学に興味をいだき、ポテンシャルの概念を導入した。これは彼の物理学への最も大きな貢献とされる。また、地磁気や磁気の研究も行なった。磁気誘導の単位「ガウス」や「ガウスの誤差法則」、「ガウスの最小二自乗法」などに名を残す。また、国際数学連合(IMU)により、数学の応用に対して「ガウス賞」が2002年に設けられている。