アングロオーストラリア望遠鏡
よみ方
あんぐろおーすとらりあぼうえんきょう
英 語
Anglo-Australian Telescope
説 明
オーストラリアのニューサウスウェールズ州サイディングスプリング天文台にある口径3.89 mの望遠鏡。AATと略称される事が多い。オーストラリア国立大学(ANU)が運用している。
1960年代後半にオーストラリア国立大学所属ストロムロ山天文台の台長になったボーク(Bart Bok)の呼びかけを契機として、10年以上の紆余曲折の末、1971年にイギリスとオーストラリア両国政府の協定に基づきAAT委員会が発足して建設計画がスタートした。キットピーク国立天文台の口径3.84 mメイヨール望遠鏡の設計を基本的に踏襲することとし、業者発注は国際入札が義務づけられた。望遠鏡架台と駆動・制御システムは日本の三菱電気が落札した。三菱電機がAATの経験から得た大型光学望遠鏡の技術は、後のすばる望遠鏡建設に極めて重要な役割を果たした。AATは1974年に完成し、1975年6月から定常運用を開始した。AATは高い機械精度と計算機による制御方式で、平均自乗誤差1秒角に迫る当時としては驚異的な天体導入精度を達成した。口径でメイヨール望遠鏡を僅かに上回るAATは、完成時点ではソ連の6 m望遠鏡、パロマー天文台の5 mヘール望遠鏡、セロトロロ汎米天文台の4 mブランコ望遠鏡に次いで世界第4位であった。また、赤道儀式の架台を持つものとしては実質上最後の大望遠鏡である。これ以降の大望遠鏡の架台は経緯台となった。
建設予算、運営経費、観測時間を両国で等分する前提で始まったこのプロジェクトは、国際協力で大望遠鏡を建設する現代のモデルの嚆矢ともいえる。建設後の運営体制を巡っては、サイディングスプリング天文台を運営するANUが運用するというオーストラリアの提案と、全国共同利用を掲げて税金を投入したので、これを一大学の運営にまかせることはできないとするイギリス側の主張が激しく対立し解決に時間がかかった。1972年にANUとは独立の組織(天文台)を作って運用することがAAT委員会で決まり、1973年暮れにはリック天文台のウォンプラー(J. Wampler)が初代の台長に任命され、彼の名前を冠した「ウォンプラースキャナー」がAATの完成当初から使用できることになった。AATの運用を行うアングロオーストラリア天文台(AAO)は1976年にシドニー郊外のエッピングに設立された。
アングロ-オーストラリア望遠鏡に多天体分光器 2-degree Field(2dF)を付けて1997年から2001年まで行われた2dF銀河赤方偏移サーベイ(2-degree Field Galaxy Redshift Survey: 2dFGRS)は、19.5等までの22万個の銀河の赤方偏移を測定し、広天域の銀河の赤方偏移サーベイに大きなインパクトを与えた。
AAOは35年にわたって両国の天文学コミュニティのために施設を運用してきたが、2010年にイギリスがAAOから撤退し、AATの運営はオーストラリア国立天文台(Australian Astronomical Observatory:AAO, 略称が旧組織と同じなので要注意)に引き継がれた。その後2012年に天文台本部はエッピングからニューサウスウェールズ州ノースライドのマッカリー(Macquarie)大学に移った。2018年からAAOの機能は二分化され、装置開発などはマッカリー大学が、AATを含むサイディングスプリング天文台の運営はANUが行っている。
AATホームページ: https://aat.anu.edu.au/about-us/AAT
AAO Macquarie大学ホームページ: https://www.aao.gov.au/
経緯については https://aat.anu.edu.au/about-us/a-brief-history を参照。
2022年01月31日更新
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