ディラック
よみ方
でぃらっく
英 語
Dirac, Paul Adrien Maurice
説 明
ポール・ディラック(Paul Dirac; 1902-1984)はイギリスの理論物理学者。1902年、イギリス、ブリストル生まれ。1921年にブリストル大学に入学し電気工学を専攻するが、翌年、ケンブリッジ大学に進学し物理学を専攻した。
1925年、ヴェルナー・ハイゼンベルグ(Werner Heisenberg)の行列力学、エルビン・シュレ-ディンガ-(Erwin Schrödinger)の波動力学を統一する形で量子力学を提唱した。この研究で一点でのみ無限大の値をもつという形式的な関数であるデルタ関数を導入し、これがのちに数学での超関数の理論に発展する。1927年、電磁場の量子化を定式化し、場の量子論の発端となる。1928年、相対論的な電子の波動方程式としてディラック方程式を提案し、負のエネルギー状態に対して空孔理論を提唱する。最初この空孔を陽子と同定するが、空孔の質量が電子と同じであることから後に電子の反粒子の存在、粒子と反粒子の対生成、対消滅の存在を予言した。この反粒子は1932年、カール・アンダーソン(Carl Anderson)によって宇宙線中に発見され陽電子と命名された。また電子の波動関数としてスピノル量が導入された。1931年、単独な磁荷をもった磁気単極子の存在を予言し、その存在から電荷の量子化が導かれることを示した。1937年、陽子と電子の間の電磁気力と重力の強さの比などさまざまな量の中に、10の40乗という数値が現れることが偶然ではないという大数仮説を立てた。
1933年、シュレ-ディンガ-とともに「量子論の新しく有効な形式の発見」によってノーベル物理学賞を受賞。長年、ニュートンが初代であったケンブリッジ大学のルーカス教授職にあったが、1970年からフロリダ州立大学に移り、1984年に亡くなるまで務めた。
2021年02月04日更新
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