藤田良雄
よみ方
ふじた よしお
英 語
FUJITA Yoshio
説 明
日本の天文学者(1908-2013)。低温度星の分光学的研究の世界的権威。我が国における観測に基づく天体物理学、とくに天体分光学の発展の基礎を築いた。
福井県福井市生まれ。東京帝国大学理学部天文学科を卒業後東京天文台技手兼理学部助手となる。1939年(昭和14年)に、低温度星のスペクトルの多様性が、温度ではなく炭素、窒素、酸素の組成比(元素存在度)の違いによって理解できることを示して、東京大学より理学博士の学位を得た。サンフランシスコ講和条約締結前の1950年にアメリカに渡り、リック天文台とヤーキス天文台で分光観測と解析方法を研究した。この経験と持ち帰ったスペクトルのデータから、日本の低温度星の研究グループが生まれた。萩原雄祐とともに、東京天文台岡山天体物理観測所の188 cm望遠鏡の建設に尽力した。岡山での観測から、大部分の炭素星の炭素同位体比(12C/13C)が、CNOサイクルの平衡値(約4)よりも大きいことを示した。1960年にはカナダのドミニオン天文台のプラスケット望遠鏡(口径182㎝)、1972年と1974年にはウィルソン山天文台のフッカー望遠鏡(口径254㎝)とパロマー天文台の当時世界最大のヘール望遠鏡(口径508㎝)など、まだ日本では珍しかった時代に海外の大望遠鏡による観測を行った。
1951年に東京大学理学部教授となり、1955年には「低温度星の分光学的研究」に対して日本学士院恩賜賞が授与され、1965年には学士院会員に選出された。東大闘争の最中に東京大学評議員を務め、1969年に東京大学を定年退職した。在職中に日本天文学会理事長、日本学術会議天文学研究連絡委員会委員長などの要職を務めた。東京大学定年後は1984年まで東海大学で研究と教育にあたった。1979年に福井市名誉市民、1996年には文化功労者となった。また1994年から2000年まで日本学士院長を勤めた。1997年の国際天文学連合京都総会に当たっては、募金委員長としてその開催に尽力した。
2002年にはハワイ島マウナケア山頂にあるすばる望遠鏡で観測するなど、終生研究への情熱を持ち続けた。低温度星以外にも日食には強い関心をもち、2009年7月22日に硫黄島近海で船上から観測するなど、計7回の皆既日食を観測した。また、1999年に歌会始の召人となるなど文人としても優れ、自叙伝5冊とともに多くの文章や和歌を残した。
「天文月報」追悼記事
http://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/2013_106_04/106_278.pdf
2021年10月03日更新
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