ヘルツシュプルング
よみ方
へるつしゅぷるんぐ
英 語
Hertzsprung, Ejnar
説 明
ヘルツシュプルング(Ejnar Hertzsprung;1873-1967)はデンマークの天文学者。HR図の名前で知られる図の考案者。
コペンハーゲン郊外にあるフレゼレクスベアで生まれ、天文学に興味を持つ父の影響を強く受けた。しかし、父に天文学を専攻することを反対されたため、高等工業学校で化学を学び、ロシアのサンクトペテルブルクで化学技術者として数年間働き、ライプチヒで光化学を学んだ後、故郷に戻ってあらためて天文学を学んだ。1905年、恒星に巨星と矮星があることを発見、さらに1911年に、プレアデス星団とヒヤデス星団の絶対等級と色指数を軸にとった恒星の統計図を作り、それらの間に一定の関係があることを発見した。1913年、ラッセル(H.N. Russell)が、年周視差を用いた方法により恒星のスペクトル型と絶対等級を軸にとった同内容の図を独立に発見し、この図は両者の頭文字をとってHR図(ヘルツシュプルング‐ラッセル図)と呼ばれるようになった。
1909年、カール・シュバルツシルトの知遇を受けゲッチンゲン大学の助教授となり、その後、彼とともにポツダム天体物理学研究所に移った。1919年から1944年まではオランダのライデン天文台で働き、最後の9年間は天文台長を務めた。1913年にはリービット(H. Leavitt)の発見したセファイド変光星の周期-光度関係を使い、小マゼラン星雲までの距離を初めて推定している(星間吸収が考慮されていなかったため、約3万光年と見積もった)。また2つの小惑星(イバール、カラハリ)も発見している。1929年にイギリス王立天文学会ゴールドメダル、1937年にブルース・メダル受賞。
参考:https://phys-astro.sonoma.edu/brucemedalists/ejnar-hertzsprung
2024年09月05日更新
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