タマン
よみ方
たまん
英 語
Tammann, Gustav
説 明
グスタフ・タマン(Gustav Tammann; 1932-2019)はドイツ生まれの天文学者。ゲッチンゲンに生まれ、第二次世界大戦中はババリア地方などに住んだが終戦後母親の生まれ故郷であるスイスのバーゼルに戻った。バーゼル大学で天文学を学んだ後、アメリカのウイルソン山-パロマー天文台に移り、その後1972年にハンブルグ大学の教授となった。1977年から2002年までバーゼル大学の物理・天文学科の教授と天文研究所の所長を務めた。ドイツ天文学会の会長も務めた。
タマンは超新星の研究から、Ⅰa型超新星を標準光源として宇宙の距離尺度(ハッブル定数)を決める方法を提唱したパイオニアである。1963年に、ハッブルの後継者であるサンデージとパロマー天文台の200インチヘール望遠鏡を用いてハッブル定数決定のための共同研究をはじめた。新たな標準光源とその校正に基づく宇宙の距離はしごを使って1976年にハッブル定数(H0)が50±4 km s-1 Mpc-1であるとする論文を発表した。この値に対応する宇宙年齢は約200億年である。従来の学界のコンセンサスである約100億年の2倍であったことから大きな論争を巻き起こした。その後フランス人でテキサス大学で研究をおこなったドゥ・ボークルールが、広範な観測データに基づいてH0=100±10 kms-1Mpc-1とする論文を1979年に出版し、H0=50(long distance scale:長い距離尺度)か100(short distance scale: 短い距離尺度)かの論争が20年以上に渡って繰り広げられた。
タマンがサンデージとともに1981年に刊行した'A Revised Shapley-Ames Catalog of Bright Galaxies'は、シャプレーとエイムズが1932年に刊行した初めての銀河だけのカタログ(シャプレー-エイムズカタログ)を新しいデータに基づいて改訂したもので、約13等より明るいほぼ全ての銀河1246個に対して、明るさと形態分類に加えて距離を掲載した画期的なカタログであった。このカタログは局所超銀河団の構造の研究やフィールド銀河の光度関数の研究の基礎となった。
スイス物理学会の追悼記事
https://www.sps.ch/en/archiv/nachrufe/in-memoriam-gustav-andreas-tammann
2022年03月04日更新
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