ハクラ
よみ方
ハクラ
英 語
Huchra, John Peter
説 明
ジョン・ハクラ(John Huchra; 1948-2010)はアメリカの天文学者。アメリカのニュージャージー州のジャージー市で、列車車掌の父と主婦である母の元に生まれた。1970年にマサチューセッツ工科大学で物理学を学び、理論家を目指してカリフォルニア工科大学に進んだがすぐに観測天文学に関心を移し、天文学の学位を得た。1976年にハーバード-スミソニアン天体物理学研究センターにポスドクとして赴任して以来、生涯そこで研究生活を送った。
近赤外線による銀河の観測が本格化した1970年代の終わり頃から、マーク・アーロンソン(Marc Aaronson)やジャーミー・ムールド(Jeremy Mould)らとともに、近赤外線での銀河の明るさを用いたタリー-フィッシャー関係の構築を進め、これを距離指標関係式として多数の銀河の距離を求めた。その結果1986年に、ハッブル定数H0をおおよそ91kms-1Mpc-1と求めたことに加え、宇宙マイクロ波背景放射に対する局所銀河群の運動が、おとめ座銀河団への落ち込み運動と局所超銀河団が全体としてうみへび-ケンタウルス座超銀河団方向に引き寄せられている運動との合成(ベクトル和)で説明できることを示した。これはルービン-フォード効果(ルービンを参照)に始まる銀河の大規模な特異運動(bulk motionあるいはstreaming motionと呼ばれる)の研究に大きな影響を与えた。ハクラはその後もハッブル宇宙望遠鏡のキープロジェクトのメンバーとしてハッブル定数の決定に貢献した。
ハクラのもう一つの顕著な業績は宇宙の大規模構造を描き出したことである。1979年よりマーク・デービス(Marc Davis)らとともに大規模な銀河の赤方偏移サーベイの嚆矢となった第一次ハーバード-スミソニアン天体物理学研究センターサーベイ(CfA-Iサーベイ)を行い、後にはマーガレット・ゲラ-(Margaret Gellar)らと限界等級を1等暗くした第二次サーベイ(CfA-Iサーベイ)を行った。その結果から見え始めたフィラメント状構造やボイドや超銀河団からなる大規模構造、とくに「万里の長城(The Great Wall)」と呼ばれた構造は、その後の赤方偏移サーベイの大流行のきっかけとなった。
ハクラは謙虚な性格で非常な努力家であった。学部時代には、トラックの荷下ろしで学費を稼いだ。「天体物理学で身を立てられなかったらトラックの運転手ができる」と言って、ハーバード大学教授、アメリカ科学アカデミー会員になってもトラック運転手労働組合の組合費を払い続けた。友人のロバート・カーシュナー(Robert Kirshner)は、「私の知る限り、彼はだれよりも1日に働く時間が多く、1年間の観測時間が多かった」と述べている。近赤外タリー-フィッシャープロジェクトでは1年間に130夜観測したと言われている。アメリカ天文学会会長、国際天文学連合アメリカ代表などを務め、2010年のdecadal surveyでも重要な役割を果たした。
ネイチャー誌の追悼記事
https://www.nature.com/articles/468174a
2022年07月13日更新
この用語の改善に向けてご意見をお寄せください。
受信確認メール以外、個別のお返事は原則いたしませんのでご了解ください。