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田中春夫

 

よみ方

たなか はるお

英 語

TANAKA Haruo

説 明

日本の天文学者(1922-1985)。日本における電波天文学研究のパイオニアの一人で、マイクロ波帯での太陽電波研究の世界的権威と評された。愛知県豊川市にあった名古屋大学空電研究所で多素子電波干渉計を世界に先駆けて開発し、高い角度分解能による太陽面構造の研究の基礎を築いた。1976年東京大学東京天文台に転任後は、野辺山宇宙電波観測所の初代所長として、45m電波望遠鏡とミリ波干渉計よりなる大型宇宙電波望遠鏡の建設を指揮した。
神奈川県藤沢市生まれ。1944年東京帝国大学第一工学部電気工学科を卒業、同大学院特別研究生を経て、1949年名古屋大学助教授に就任、1958年同大教授に昇任、東京大学に転任するまでの26年余にわたり空電研究所において電波天文学に関する研究教育活動に専念するとともに、5年間は空電研究所長として研究所の運営と発展に努めた。空電研究所着任直後から、日本で初めてマイクロ波太陽電波の研究に着手し、世界最先端の太陽電波観測所を築き上げ、「世界のTOYOKAWA」としての名声を獲得することになった。
太陽電波は第二次世界大戦中の1942年に発見され、戦後各国がその観測・研究を競う研究分野となった。空電研究所着任後間もない1951年には、日本で初めてのパラボラ型電波望遠鏡(波長8 cm、口径2.5 m)を建設し、本格的な太陽電波観測をスタートさせた。その後観測波長を拡張し、1957年の国際地球観測年以来、マイクロ波4波長帯での高精度な連続観測を継続し、その質の高いデータは世界の太陽物理学および太陽地球間物理学の研究に多用され、その発展に大きく寄与した。波長8 cmと波長3 cmの多素子干渉計群の観測から、高エネルギー陽子を放出する大きな太陽フレアの発生を予測することができることを発見し、国際同時観測期間の設定や、気球観測の成功率向上に多大な貢献をした。さらには、2次元化された多素子電波干渉計(電波ヘリオグラフ)を使って太陽面の2次元電波画像の撮像に成功し、コロナホールの観測的研究などで数々の業績を残した。
国内・国際学会はもとより、日本学術会議や各種審議会の委員および様々な国際学術団体で重要な役職を務めるなど、日本国内のみならず国際的な学術の分野で精力的な活動を行った。東京大学定年後は、1982年に東洋大学教授(工学部電気工学科)に就任し、構内に設置した口径4mのパラボラアンテナを用いて指導学生とともに鏡面測定法の研究を進め、学校行政、研究教育に尽力した。

 

「天文月報」 追悼記事
https://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1986/pdf/19860303.pdf
https://www.asj.or.jp/geppou/archive_open/1986/pdf/19860305.pdf

2021年10月03日更新

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