天文学辞典 :ASJ glossary of astronomy | 天文、宇宙、天体に関する用語を3200語以上収録。専門家がわかりやすく解説します。(すべて無料)

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FCRAO

Five College Radio Astronomy Observatoryの略。五大学電波天文台のこと。

Five College Radio Astronomy Observatoryを略したFCRAOと呼ばれることが多い(Astronomicalではないことに注意)。米国マサチューセッツ州東部のアムハーストにある、マサチューセッツ大学を含む5大学が共同で運用しており、以前は大学本部から東に5~6kmほど東のクオビン湖畔に設置された14m電波望遠鏡を運用していた。設立は1969年と古く、ミリ波観測の嚆矢となる多数の研究を行ってきたが、14m鏡は2011年には閉鎖された。現在の主力観測装置はメキシコにある大ミリ波望遠鏡LMTとなっている。

日中共同で中国チベット自治区の羊八井 (ヤンパーチン) 宇宙線観測所 (東経90.5度、北緯30.1度、標高4,300 m) に建設された宇宙線観測装置。面積 0.5 m$^2$ の地表粒子検出器 597台を約65,000 m$^2$の範囲に設置した空気シャワーアレイと、地下2.4mに設置されミューオンを観測する有効面積3,400 m$^2$の水チェレンコフ検出器、および空気シャワー観測装置の中心付近に配置された空気シャワーコア観測装置YACからなる。
 1993年に、月および太陽の方向からの宇宙線が欠損している(「影」ができている)ことを報告した。これは、装置の角度分解能が十分高いことを実験的に証明する結果であるとともに、地球の影は宇宙線が地球磁場の、太陽の影は太陽活動の影響を受けていることを示した。
 2006年に、銀河宇宙線の到来方向の異方性の観測結果が、コンプトン-ゲッティング効果で説明できることを示した。
 2019年に、かに星雲方向から約20個の100 TeVを超えるガンマ線を観測 したと報告した。これはかに星雲がペバトロンの候補であることを意味している。

ホームページ:https://www.tibet-asg.org/index_ja.html

LHAASO (Large High Altitude Air Shower Observatory)は中国四川省甘孜県の稲城(東経100度8分、北緯29度21分、海抜4,410 m)に建設された高エネルギーガンマ線および宇宙線観測装置である。2019年から観測が開始されている。1.3 km$^2$の面積にわたって4911台の電子検出器と1118台のミューオン検出器を配置した空気シャワーアレイKM2A、その中央近くに接地された有効面積78,000 m$^2$の水チェレンコフ検出器WCDAと18台の固定式広視野(16度×16度)大気チェレンコフ望遠鏡WFCTA、および10,000 m$^2$の面積に配置された電子中性子検出器ENDAから構成される。
 2021年に、1 PeVを超える超高エネルギーガンマ線点源を、KM2Aの観測データから12個同定したと発表した。これらはペバトロンの候補であることを意味している。
2023年には、ガンマ線バーストGRB 221009Aから200 GeVを超えるガンマ線を、WCDAの観測データから60,000個以上検出したと発表した。

ホームページ:http://english.ihep.cas.cn/lhaaso/

ドライヤー(Johann Louis Emil Dreyer;1852-1926)はアイルランドで活動した天文学者。ドレイヤーとも表記される。デンマークのコペンハーゲンに生まれ、1874年にアイルランドに渡り、第4代ロス卿(ローレンス・パーソンズ、第3代ロス卿の息子)の助手として口径180cm反射望遠鏡で観測した。1878年からダブリン近郊のダンシンク天文台に勤務、1882年から1916年までアーマー天文台の所長を務めた。
1886年に2300個の星の位置を示した『第2アーマー星表 』(Second Armagh Catalogue)を、1888年には7840個の星雲、星団などを収録した『NGCカタログ』(New General Catalogue of Nebulae and Clusters of Stars)を発表した。さらに1895年と1908年にはこの拡張版である『ICカタログ』(Index Catalogue)を発行した。
天文学史家でもあり1890年にデンマーク(同郷)のティコ・ブラーエの伝記を、1912年には『ウィリアム・ハーシェル科学論文集』を出版した。さらに15巻からなるブラーエの全集を1913年から刊行している。1916年に王立天文学会ゴールドメダルを受賞、1923年から1926年まで王立天文学会の会長を務めた。

セッキ(Pietro Angelo Secchi;1818 – 78) は、イタリアの天文学者。レッジョ・エミリアで生まれ、イエズス会の学校で教育を受けてイエズス会士となり、神学と天文学の研究を続けた。イエズス会がローマから追放処分を受けた1848年にアメリカに渡り、ジョージタウン大学の数学と物理学の教授となった。1849年に禁令が解かれローマに戻り、ローマ大学天文台長に就いた。同天文台で、日食をダゲレオタイプの写真(銀板写真)に撮影することに成功し、太陽の光球彩層コロナの構造を明らかにするなど、天体物理学の先駆的な研究を進めた。分光器を用いた恒星スペクトル観測のパイオニア的な存在であり、写真が有効に利用できない時代に4000個に及ぶ恒星を、その分光観測から五つの型に分類した。この恒星の分類は、やがてハーバード大学の分類法として実を結ぶことになる。また、星雲のスペクトルに水素と未知の元素の発する輝線を発見し、それがガス状星雲であることを明らかにした。

1858年に火星の地図を製作し、その模様にCanale Atlanticoと名付けた。セッキやスキアパレリが用いたイタリア語のcanali(溝、水路の意。単数形はcanale)が英語のcanals(運河)と翻訳されたことでローウェルらによる火星の運河の議論の端緒を作った。

デモクリトス(Democritus;c.BC460 – BC370)はトラキア地方のアブデラ出身の古代ギリシアの哲学者。レウキッポス(Leucippus)を師として原子論を大成した。アナクサゴラスの弟子でもあり、ペルシアの僧侶やエジプトの神官に学び、エチオピアやインドにも旅行したと伝えられる。哲学のほか数学・天文学・音楽・詩学・倫理学・生物学などに通じ、その博識のために「知恵(Sophia)」と呼ばれた。

デモクリトスとレウキッポスは、自然を構成する分割不可能な最小単位として「アトム(不可分なもの・原子)」が存在すると考え、アトムの存在やその運動の説明のため、「ケノン(空なるもの・空虚)」の存在を考えた。このアトムは分割できず、色々の大きさや形があり、生成消滅せずに常に運動しており、これらの組み合わせや配列によって感覚でとらえられる物質や現象が生じると考えた。
自然の根源についての学説は、アリストテレスが完成させた4元素説が優勢であり、原子論は長らく顧みられることはなく、デモクリトスの著作は断片しか残されていない。しかし、18世紀以降、化学者のドルトンやラヴォアジェによって原子論が優勢となり4元素説は放棄された。ただし、近代的な原子論は、デモクリトスの古代原子論と全く同一という訳ではない。

天の川が無数の星からなることを予想した最初の人であるとも言われている。

プトレマイオスを参照

サルピーター(Edwin Ernest Salpeter;1924 – 2008)は、オーストリア生まれで、10代でオーストラリアに帰化し、主にアメリカ合衆国で活躍した天文物理学者。シドニー大学で数学と物理学を学び、イギリスのバーミンガム大学でルドルフ・パイエルスのもとで学位を取得した。1948年からコーネル大学で、ハンス・ベーテと核物理学や天文物理学の分野で研究を行った。星の内部での核反応による起源(特に3個のヘリウム核から炭素が生成される三重アルファ反応)の研究や、後年にはダークマターや銀河・星団の形成にも取り組んだ。原子の相対論的束縛状態に関する方程式(ベーテ・サルピーター方程式)や、恒星の質量と生成速度との関係を示す初期質量関数(サルピーター関数)などに名前が残っている。1973年にイギリス王立天文学会ゴールドメダル、1987年にブルース・メダル受賞。

 

参考:https://phys-astro.sonoma.edu/brucemedalists/edwin-salpeter

https://www.nature.com/articles/457275a

ゼーリガー(Hugo von Seeliger;1849–1924)は、ドイツの天文学者。ポーランド領シュレージエン地方の裕福な家庭に生まれた。ハイデルベルク大学で学び、ついでライプチヒ大学でカール・ブルーンスの下で1872年に天文学の博士号を取得した。その後、アルゲランダーとシェーンフェルドの助手として1877年までボン大学天文台に勤務、ボン掃天星表の製作に貢献した。その間の1874年には金星の太陽面通過観測のためオークランド諸島に赴き、ドイツの観測隊を指揮した。1881年にゴータ天文台の所長に、1882年にはミュンヘン大学の教授に就任するとともに、同大学の天文台所長に就任し、75歳で他界するまでその任にあった。
20世紀初頭の統計星学の基礎を作り、恒星系の構造解明に寄与した。また「宇宙が一様かつ無限であれば、無限の数の星からの重力の総和も無限になり宇宙の崩壊は免れ得ない。」とする「ゼーリガーのパラドックス」を唱え、ニュートンの万有引力の法則の修正を提案した。1887年には土星の環の明るさの変化を報告、これは衝効果の先駆的研究とされている。

グールド(Benjamin Apthorp Gould;1824-96)はアメリカの天文学者。ボストンに生まれ、1844年にハーバード大学卒業後ドイツに渡ってガウスに学び、彗星と小惑星の運動について研究した。1848年にアメリカに戻り、翌年研究報告誌「アストロノミカル・ジャーナル」を刊行、アメリカ天文学会活動の確立に力を注いだ。1861年、海軍天文台で1850年から行なわれてきた観測記録をまとめ、出版した。1865年、アルゼンチンのコルドバ天文台創設に協力し、1870年から85年まではその天文台長として、最新の測光法を導入して南天の星図・星表を作成し、以後の南天研究の基礎データを提供した。1885年にアメリカ合衆国に戻り、南北戦争で休刊した「アストロノミカル・ジャーナル」を復刊し、1896年まで編集を続けた。
1883年王立天文学会ゴールドメダル受賞。グールドの帯に名を残している。

 

グスタフ・キルヒホッフ(Gustav Robert Kirchhoff;1824-87)はドイツの物理学者、化学者。ケーニヒスベルク(現在のロシア/カリーニングラード)で生まれ、ケーニヒスベルク大学で学び、学生時代にオームの法則を拡張した電気法則を提唱、1849年に電気回路におけるキルヒホフの法則としてまとめ上げた。1850年にブレスラウ大学員外教授に就任、ロベルト・ブンゼン(R. Bunsen)とともに、分光学研究に取り組み、セシウムとルビジウムを発見した。1859年には黒体放射におけるキルヒホッフの(放射)法則を発見した。

フラウンホーファー(J. von Fraunhofer)が発見した太陽光スペクトルの暗線(フラウンホーファー線)は、太陽の光球から放たれた光がその周囲にある太陽大気中の各種元素によって吸収された結果であると説明した。また、フラウンホーファーのD線がナトリウムによる吸収線であることも明らかにするなど、物理学や化学のさまざまな分野で多くの偉大な業績を上げた。

1862年にイギリス王立協会ランフォード・メダル、1876年にはドイツ国立アカデミー・レオポルディーナのコテニウス・メダルを受賞している。

 

参考:https://mathshistory.st-andrews.ac.uk/Biographies/Kirchhoff/

オイラー(Leonhard Euler;1707-1783)はスイスの数学者、物理学者、天文学者。人並み外れた記憶力と計算力を持っていた数学の巨人。バーゼルに生まれ、1720年バーゼル大学に入学、ベルヌーイ(Johann Bernoulli)に数学の才能を見出される。1727年にロシアに渡り、サンクトペテルブルク・アカデミーで職を得、1734年に結婚するが、1738年頃に右目の視力を失った。1741年にドイツのベルリンへ移り、1766年には再びロシアへ戻ったが、その直後に両目とも失明、しかし研究意欲は衰えることなく、人類史上最多の論文を書いたと数学者と言われている。76歳でサンクトペテルブルクで没した。

数学のあらゆる問題に関係し、それらを再構成した。解析学では、無限級数への展開、その和、収束などを研究した。三角法では三角関数を導入し、指数関数との関係(オイラーの公式)を見出した。また、ネイピア数(オイラー数とも言う)2.71828…を e という記号で表わし、円周率3.14159…を π としたのも彼であった。β関数やΓ関数もオイラーによって導入されている。また、幾何学への貢献も大きく、二次曲線と円錐曲線の関係や、三次元空間での二次曲線が作る曲面などの考察を行なった。力学や流体力学では、力を再定義し、解析的な形で運動方程式を与えた。剛体の運動に登場する「オイラーの運動方程式」や「オイラー角」、流体の運動方程式の定式化でも有名である。天文学では1744年に出版された 「Theoria Motuum Planetarum et Cometarum(惑星と彗星の運動論)」、1772年の「Theoria Motuum Lunae(月の運動論)」などがあり、三体問題の考察を行なった。

 

参考:https://mathshistory.st-andrews.ac.uk/Biographies/Euler/

複数の炭素原子が直線状に連なった「炭素鎖分子」は、星間分子の分光で発見された宇宙に特有の分子種族である。野辺山宇宙電波観測所の45 m宇宙電波望遠鏡の分光装置や最近ではアルマ望遠鏡の電波分光計による観測的研究で大量のスペクトル線データが取得され、化学反応モデルとの検証も進められている。エチニルラジカル(CCH)、チオキソエテニリデン(CCS)、シアノアセチレン(HC3N)、シアノジアセチレン(HC5N)などHC11Nまでが確認されている。地上で見られる飽和炭素鎖分子と異なり、低温低密度の星間空間では多重結合を持つ不飽和炭素鎖分子の存在が特徴的で、その反応過程の研究対象となっている。星間化学も参照。

ハッブル定数の緊張のこと。

宇宙初期、具体的には宇宙の晴れ上がり時点(宇宙誕生から約38万年後)、から我々に届く宇宙マイクロ波背景放射(CMB)のデータを基に構築された宇宙モデルが与えるハッブル定数と、そこから138億年経過した現在の宇宙の観測から決められるハッブル定数の間に、観測誤差を大きく越える食い違いがあることを指す言葉。英語をそのまま使って「ハッブルテンション」とも言う。

銀河の3次元分布(宇宙の大規模構造)の観測や宇宙マイクロ波背景放射の等方性の観測などから、宇宙空間は数100メガパーセク以上の十分に大きなスケールで平均してみると、近似的に一様等方とみなすことができる。現代宇宙論は、これらの観測により一様等方空間が等方的に膨張しているという時空モデル(ロバートソン-ウォーカー計量に基づくモデル)をもとに構築されている。多くの観測事実をよく説明ができ、現時点で標準宇宙モデルとされているのはΛCDMモデル(Λは宇宙定数もしくはそれを拡張したダークエネルギーを表す略号で、CDM は冷たいダークマターの英語Cold Dark Matterの略号。CDMモデルも参照)である。

ハッブル定数(以下では $H_0$ と表す)は宇宙の現在の膨張率を表すパラメータであるが、その決定方法は大きく分けて二種類ある。一つは、現在に近い宇宙(銀河系=天の川銀河からそれほど遠くない宇宙空間)にある銀河や銀河団などの観測から宇宙モデルを用いることなく直接ハッブル定数を決定する方法である。最も基本的な手法は、それがハッブル-ルメートルの法則$v = H_0\,r$ )の比例定数であることを利用する。基本的には、現在に近い宇宙にある銀河の後退速度 $v$スペクトル赤方偏移から測定し、距離はしごを用いて銀河までの距離 $r$ を求めれば、両者の割り算( $H_0 = v/r$ )からハッブル定数が求まる。実際には、銀河の特異運動コスミックバリアンスの影響を避けるために、多数の銀河に対する平均値を求める必要がある。距離はしごで用いるさまざまな標準光源のなかで、最も遠方まで届き $H_0$ の決定に重要なものはⅠa型超新星である。Ⅰa型超新星まで届く距離はしごはセファイドや赤色巨星分枝の先端にある星の明るさなどの近傍銀河で使える距離指標に基づいて較正(calibration:目盛り付け)をする必要がある。この手法以外にも、最近では強い重力レンズによるクェーサーの二重像の時間変化における変光時間ずれ、活動銀河核メーザー天体の運動、重力波の観測などから $H_0$ を決める方法なども開拓されてきている。

これに対して、宇宙マイクロ波背景放射に基づく方法からも $H_0$ を正確に測定できる。晴れ上がり前の宇宙では、光子バリオン(通常の物質)が相互作用のために一つの流体として振る舞い、疎密波の音波モードが存在した。この疎密波はバリオン音響振動(BAO)と呼ばれる。この音波に対応する波長は、宇宙マイクロ波背景放射で精密に測定されており、宇宙において大きさを測る「標準ものさし」(英語ではstandard ruler)を与える。このものさしは、晴れ上がり後にできる銀河の分布にも刻み込まれるので、標準ものさしの長さを反映して分布する銀河のあいだの見かけの離散角、あるいは赤方偏移の偏差から、宇宙論距離が測定でき、宇宙膨張の歴史が(したがってハッブル定数も)求められる(バリオン音響振動を参照)。

ただし、この方法はインフレーションが予言する宇宙の初期条件など初期宇宙の物理の仮定に基づいており、宇宙のモデルに依存した方法になっている。このバリオン音響振動の測定から求められた $H_0$ と、上記の方法で現在に近い宇宙の観測からモデルに関係なく求められた $H_0$ の間に有意な違いがあれば、ΛCDMモデルに基づく我々の宇宙進化に関する現在の理解に何らかの未知の物理が介在している可能性がある。

宇宙マイクロ波背景放射の観測が、COBE衛星WMAP衛星プランク衛星、および地上からの観測により精度が飛躍的に高まるのとほぼ同期して、現在に近い宇宙の観測もその精度を格段に高めつつある。ハッブル定数の緊張が話題に上り始めた2017年頃までの状況はハッブル定数の項目に記述されている。同項目の図4を本項目の図1として再掲してある。図2は図1と同じ形で2022年までのデータを含めたものである。2017年当時は「緊張」の度合は3σレベル(違いが偶然起きたのだとすれば1000回に1回程度の確率)であった。

図2と図3に2022年時点での状況を示す図を掲げる。僅か5年程度の間に莫大な数の研究が進んだことが分かる。観測精度が上がって不確かさ(誤差)が小さくなり、この時点でハッブル定数の緊張の度合は5σ以上のレベル(偶然の結果であれば100万回に1回以下程度の確率)となっている。現在の標準モデルとはいえ、ΛCDMモデルに基づく宇宙の進化には、まだ確認できていないダークエネルギーとダークマターの性質、ニュートリノや他の相対論的な粒子の性質、インフレーションの時期と性質などの仮定があるため、ハッブル定数の緊張は、現代の宇宙論・物理学の最重要課題の一つとして近年、観測と理論の双方から精力的な研究が進められている。

ハッブル定数の緊張と同様に、初期宇宙と現在に近い宇宙とのあいだで食い違いの兆候を見せるのが、宇宙における「構造形成の成長度合いを特徴付けるパラメータ(S8)」 である。この値が大きいほど、現在の宇宙で構造形成が進んでいる(すなわち物質の粗密のむらが大きい)。宇宙マイクロ波背景放射のデータが示唆するΛCDMモデルを現在まで進化させれば、現在の宇宙のS8の値を求められる。一方現在に近い宇宙では、宇宙大規模構造に伴う弱い重力レンズ効果、銀河分布の2点相関関数パワースペクトル、銀河団の個数密度などから、より直接的にS8の値を求められる。図4に2022年時点での状況を示す図を掲げる。弱い重力レンズ効果の観測にはすばる望遠鏡ハイパーシュプリームカム(HSC)も重要な貢献をしている。この「S8の緊張」が「ハッブル定数の緊張」と同じ(未知の)原因によるのか、それとも全く独立の原因による現象なのかはまだ分かっていない。

現在に近い宇宙から求まるハッブル定数の観測値が深刻な矛盾をはらんだことは過去にもある。ハッブルが1929年の論文で求めた$H_0\sim500$ [km s-1 Mpc-1]に対応する宇宙年齢は約20億年だった。その頃、放射年代測定(放射性元素を参照)から推定される地球の年齢はどんどん古くなっており、1940年代には20億年を越えることが確実となった。これは深刻な問題であった。その後の研究で恒星には二つの種族があることが分かり、セファイドを含む変光星周期-光度関係が見直された。ハッブルが銀河の写真で恒星とHⅡ領域を見誤ったものがあることも含めて、ハッブルによる銀河の距離推定が5倍程度間違っていたことが分かり問題は解決した。次は1990年代で $H_0\sim70-90$ がほぼ確実視された頃である。対応する宇宙年齢は140-110億年となる。このときは、銀河系の球状星団中の最も古い星の年齢が宇宙年齢を超えるという深刻な問題が持ち上がった。この問題は1998-2000にかけて宇宙の加速膨張が発見されて解決した。このように考えると現在は「第3のハッブル定数の緊張」の時代といえるのかも知れない。過去2回の「緊張」はいずれも画期的な発見をもたらしたが、今回はどのような展開が見られるだろうか。

 

(現時点では)ΛCDMモデルを指す。

ハッブル宇宙望遠鏡(1990年打ち上げ)の運用と関連分野の研究発展のために、アメリカ合衆国メリーランド州ボルチモアのジョンズ・ホプキンス大学ホームウッドキャンパス内に1981年に設立された研究所。全米天文学大学連合(AURA)によって運営されている。
現在はハッブル宇宙望遠鏡の後継機であるジェイムズウェッブ宇宙望遠鏡も運用し、2027年打ち上げ予定のローマン宇宙望遠鏡の運用も行う予定である。さらにアメリカ航空宇宙局(NASA)のさまざまな天文観測衛星のデータを統合した宇宙望遠鏡のためのデータアーカイブMAST(Mikulski Archive for Space Telescopes)を運用している。運用だけでなく、所属する多数の研究者が多くの共同研究をリードし、ハッブルフェローシップをはじめとするいくつかのフェローシップで若手研究者を集め、宇宙望遠鏡による研究の国際的推進に貢献している。
このような活動に加えて、宇宙に関するさまざまな情報をインターネット上や学校、プラネタリウム、科学館、さらには一般市民に提供する広報活動も活発に行っている。
ホームページ
https://www.stsci.edu/
MASTホームページ
https://archive.stsci.edu/

 

アメリカの地上天文観測に関わる組織を運用する中枢的な研究所。現在はNOIRLabが正式名称となっている。
1984年にアメリカ国立科学財団が、全米天文学大学連合によって運営されていたキットピーク国立天文台セロトロロ汎米天文台の運用を統合してアメリカ国立光学天文台を設立した。その後、キットピーク国立天文台の3.5-m WIYN 望遠鏡(1994)やセロトロロ汎米天文台の4.1-m SOAR望遠鏡、2台の8.1-mジェミニ望遠鏡(2001)などが新たに加わり、ベラルービン天文台も建設の運びとなったため、それらのデータを包括的に扱う組織(コミュニティ科学データセンター)を含めて全体を統括するNOIRLabが2019年に設立された。現在NOIRLabが運用するのは、キットピーク国立天文台、セロトロロ汎米天文台、国際ジェミニ天文台(ジェミニ望遠鏡を参照)、コミュニティ科学データセンター(the Community Science and Data Center (CSDC))、およびベラルービン天文台である。
ホームページ
https://noirlab.edu/public/about/
NOIRLabに至る歴史
https://noirlab.edu/public/about/history-of-noao/

アメリカ国立光学赤外線天文学研究所の名称。